タブララサ

最近わりと区切り的なできごとがあり、そういうものがひとつ終わるとそれ以前のことを忘れ、自分が真っ白になってしまう傾向がある。
観光客というのは生活者と比べてどうしたってマヌケな存在に感じられるものの、ある程度はお互い様だし、知らないところへ行くのはやはり興奮して楽しいのだから行けるうちはやめられないが、普段の仕事や家事に戻ると「馬鹿みたいな自分」ではもはやなくなったと思ってほっとする部分もある。
さらに大きな病気の疑惑もあったので、旅の直後にガガーン、告知される自分というシナリオも描いていなくはなかったが、やはり所詮は不死身らしく――「病弱な女は死なない」(ガルシア=マルケス)――大したことはないと判明し、ますます静かな心持ちとなる。
課題は多く、遊びすぎて焦らなければならない時期なのに、本当に静か。

記憶は分断されながらも(7月頃のことはもう遠くて覚えていない)、いつもシュザンヌ・セゼールがかたわらにいた夏だった。