学生の名前

ああ、もう7月。
季節として好きすぎて苦しい。
以前の感覚では7月が土曜日、8月が日曜日だったが、最近は前倒しになり、喜びのピークは夏至(小誕生日でもある)にあり、6月が土曜日で7月が日曜日。
つまり7月には、もう夏が通り過ぎる、終ってしまうという焦りがにじんでいるのである。
しかも今年の7月は、例年もっとも忙しい6月以上に忙しい。
喜びながら、焦りながら、突っ走って終ってしまいそうだ、ああ。

ところで、私が顔を合わす学生の数は、集中講義を抜かせば150人ぐらいなんだけれど、そのうち名前と顔が一致するのは145人ぐらいだと思う。
学生の名前はつとめて覚えようとしていて、6月後半ぐらいになると普段来ている学生はひととおり覚えられる。
まあ、この程度の人数だからできるのかもしれない。
これは大学で授業をもって何年か経ち、得た感覚なのだが、ひとりひとりの学生を個人として識別し、それが相手にもわかると、授業運営上のいろいろなことがうまく行く。
くり返し名前を呼びかけることで、最初と態度ががらっと変わる学生もいる。
同姓が何人かいるとファーストネームで呼んだりするが、それがすごく喜ばれたことも何度かある。
管理上の問題というより互いの関係にかかわることで、学生のほうがそういうことに敏感なんだと思う。

名前のことだけではないけれど、最近、小規模大学の学生のモチベーションについてをよく考える。
大きい大学、有名大学なら、その空間に身を置くだけで、学問でも趣味でも何でもいいが何かしらのきっかけを拾える、比較的簡単に見つけられるということが、小さい大学ではあまりない。
大学での人的ネットワークやノウハウが成熟していないということなのだろうか、何かに影響を受ける機会がない、目覚めないまま学生時代が終ってしまうというケースがわりと多い印象がある。
別に集団で何かをしなくてもいいのだが、やはりきっかけやアイディアをつかめる場はあったほうがいい。
そういうことって、たぶんその後の人生にもかかわってくると思うのだ。

といって、自分は大してすばらしい学生生活を送っていたわけではないし、人は何歳からでも考え始めることはできるのだけれど。
私が学生に向けてできるのは、せいぜいこちらの乏しい知識に経験を織り交ぜて伝えることぐらいしかない。