京都教育大学集団暴行事件

虫酸が走るような学長の会見。
しかし社会的な立場で性的な問題(レイプとまでいわずとも学内セクハラや痴漢行為など)を話題にするとき、「あんな風に冤罪に遭ったらどうしよう」「誤解されたらたまらない」「何らかの策略で自分も犯人に仕立て上げられてしまうかも」というような、ほとんど被害者的なコメント以外のコメントをする男性を見たことがない。
サンプリングが足りないだけならすみませんが、いつもそういう発言に遭遇するたび、アメリカの白人は有色人が主人公の映画だと感情移入できない精神構造になっているからハリウッド作品では白人を主役にする他ないという話を思い出してしまう。

実際に世の中にはあまりに多くの痴漢行為やセクハラ行為があり、それに傷ついている人々がおり、そのことが最近ようやく問題化されるようになったという事実がある。
冤罪もあるだろうが、それはあくまでその事実に付随して出てきたものだろう。
ひと昔前はそんなことは問題にさえされず、ラッシュ時の埼京線赤羽線などひとつの車両に何人の痴漢がいたかわからない。
(行為が可能なシチュエーションさえ用意されればいつでもやるんだろうオメーラとよく思ったものだ)

身近にあった学内セクハラ問題ひとつとっても、見方にはずいぶんとバラつきがある。
私も当事者本人から直接話を聞いたわけではないから絶対的な判断を下せないにせよ、あまりに聞きかじりで事実誤認しすぎな上、オヤジ(ルビ:保身的権力者)的解釈に寄りすぎたコメントを人のブログで見たときは相当にがっかりした。