コミュニケーション論I

今年から理系の大学生に、日本語でのプレゼンテーション技術を教えている。
要するに大学生として、さらには社会人として最低限必要な読み書きの能力、そしてコミュニケーション能力を身につけさせるというもの。

これらの技能を必要とする学生が多いのは事実だが、ハウツー的側面の強いこうした授業、教える立場として疑問がなくもない。
「コミュニケーション」って、本来小手先のテクニックではなく、もっと奥深いものなはず。
「関係」(ネットワークというよりは、もっとベタな意味での人と人との関係)や「コミュニケーション」というのは、私は自分の重要テーマと思っているので、人前で効果的にしゃべるための技術を勧めるなどということには個人の倫理として躊躇するところもあるのだ。
だからそのこと(世間での損得に関わるこうしたテクニックの背後に、もっと奥深いものが広がっているのだということ)は、相手にはわからないかもしれないけれど、とりあえずそう話している。
あとは自前の教材とか具体的な話題で、おりおりに伝えようとしてみる。

まあ、私は人前でハキハキとお話しするとか、テーマをうまくまとめるとかは、得意な方だと思う。
職業柄、というか、経歴柄というか、自然にそうなってしまった。
それでプラスポイントになる場というのは確かにあるが、そのことで失っているものもあるんだろうか。
なんとなく、なくはないという気がしている。
態度というより、脳の使い方というか思考回路みたいなところで。
ひとりの時はなるべくリセットしようと思っているけど。

しかし、これまで知らなかったタイプの学生たちとのやり取りで、むしろこっちがコミュニケーションを学んでいる日々でもある。
甘えモードも種類があって、ひと通りでは処しきれない。
それもまた醍醐味。