ゴリラの名づけ、可愛すぎる今シーズンの45rpm

健康診断で体中をぐいぐいやられて不健康になる。
下剤は飲まされるし、バリウムは飲めなくて叱られるし、あんなこともされたし、こんなこともされたし。
男と女のみならず、経産婦と石女っていうのは違う動物ぐらい違うのではないか。
傷だらけの心身でゴリラのドキュメンタリー番組を見ながら、なんとなくそんな気がした。
ああ、ゴリラとふたり、山で静かに遊びたいなあ…
きっと気が合うと思うんだ。

それにしても今シーズンの45rpmはいつにもまして可愛い。
http://www.45rpm.jp/index.html
春になると得意のインドカディを使ったシリーズが出てくるのがうれしい。
とりわけ今回は切りっぱなしで甘すぎないフリルものや、きれいな色のストール。
冬の間は、セールで買ったウールガーゼのストールの肌触りが良すぎて一日も手離せなかった。
これからの季節は、インドカディのしゃりしゃりした感じもほんとに気持ちがよさそう。
買えないけど、全部ほしい。

ゴリラの話に戻ると、ルワンダコンゴの間に住んでいる希少なマウンテンゴリラのうち、認められているものには名前がついている。
その名前だけれど、80年代に謎の死を遂げた研究者ダイアン・フォッシーがつけた名と、最近ルワンダの人たちが新しいゴリラにつけている名は全然違う。
ダイアンがつけた名は、たとえばタイタスとかディジットとか。
ルワンダの人たちのは、こちらには馴染みのない、でも「オールマイティ」とかの意味をもったルワンダの名。
人は動物にも、自分が名前だと思っている名前をつけるものなのだと感慨深い。
トテポンシャンとかアリタリラなどと出鱈目をつけたりしない。
体系の中にあり、それぞれ何かの喩なのである。
名づけるって不思議な行為だ。
ちらっと映ったゴリラの墓には「タイガー」と書いてあった気がする。
ゴリラなのに虎。
そういうふうに、人や動物を別の動物や植物の名に譬えて呼ぶことも不思議だがよくあることだ。
世の中にはスミレちゃんもユリちゃんも寅次郎もいるし、鳥の名をもったイラン人の女の子も知っている。
私はビッグ・クロスでキャピタルで、ビッグな中心がふたつ闘っているのだといったら「変な名前〜」といわれた。