可視のしかし

わざわざ言うことでもないんだけれど、大学ぐらいで言われなければもしかして一生気づかないかもとも思ったので、老婆心ながら、提出物の口語表現禁止令を出してしまう。
だけど、けど、すごく、っていう、いまいち、なんてレポートに書いてあるの、おかしいって読む方はみんな思ってるよと言ったら、みんな初めて聞くというような顔だった。
そして今日、答案は一面「しかし」の海。
記憶にないが、「だけど」じゃなく「しかし」と書くようになどと言ったのかな、言ったんだろうな、これだけ「しかし」が溢れて、文字が立ち上がってさえ見えるのは。
しかし、これだけ「しかし」があると、何だか不思議な接続詞に見えてくるなあ。
上から読んでも下から読んでも「しかし」。
鹿氏、詩仮死、歯科死…
接続詞としての「なので」に言及するのを忘れたら、やはり散見された。
やっぱり一個ずつ言わないとだめなのか。
それでも何とかがんばって書いている感じは微笑ましい。
何のことはない、自分が外国語で書く時は同様のことがたぶん絶対起きていて、添削するネイティヴはどこかから借りてきた仰々しい論文調と妙に幼稚な表現の混在にプッと噴き出したりしてるのだろう。


何人かに成人式の晴れ着の写真を見せてもらう。
今年はトップを盛った髪のサイドに大きな造花をつけるのが流行りらしく、フラの踊り子のようである。
振袖というのは、柄も着こなしも毎年違い、伝統的というよりもどこか和洋折衷的。
今見ると、華やかでかわいらしい。