石内都「ひろしま/ヨコスカ」展(目黒美術館)

銀座ニコンサロンでやっていたエマニュエル・リヴァ展には行けなかったが、ようやく終了間際の石内都展に行ってくる。
去年の前半、被曝して引きちぎれたワンピースの写真を見てから行きたかったもの。

広島の美術館でやっていた最新作「ひろしま」シリーズを含む、初期からの主要なシリーズの抜粋となっている。
70年代半ばの「絶唱横須賀ストーリー」や「連夜の街」に写されている場末の町の建物・室内から、「SCARS」「Mother's」に出てくる人体の接写まで通して見てゆくと、初期にあらわれる壁面のコンクリの剥がれた箇所とかふすまの破れ目は、大写しの手術痕や火傷痕と同じまなざしで捉えられているのだということがわかる。
特に「SCARS」シリーズの、性別も体のどの部分かもわからない皮膚の地模様と山脈状のケロイドの一枚に目をうばわれる。

ひろしま」にあらわれる一連の布地の破れも、もちろんその延長にあるだろう。
纏う人が不在の衣服という意味では、「Mother's」に出てくる亡母の遺品の下着以来だ。

驚くのは、多くは女性物であるそれらの衣服の意匠としての美しさ。
薄いローンの水玉だったり、クレープデシンにピンク色のブーケ柄が散っていたり。
丁寧に入れられたタックやヨーク切り替え、丸襟の縁につけられた上品な柄のケミカルレース、バイアス使いや細かなギャザー…。
死者たちが着ていたのは、国民服でも軍服でももんぺでもなく、マリオン・スィトーが喜んで舞台に使いそうな40年代風のお洒落着だった。
その朝、これほどきれいな服を身につけようと思ったいったい誰が原爆に殺されると想像しただろう。
その明るさ、一点の予感のなさが残酷さを掻きたてる。

透過光を当てられた衣服たちは蜻蛉のように透き通り、布の端がぎざぎざにほつれた破れ目からは強く白い光が入る。
布の破れや襞、それらが作る光と影をじっくり接写してゆく映像作品もすばらしく、長らく見入ってしまう。

しかしなぜ石内都を見てしまうかというと、やはり写真より前に写真家の名前があるのだと思う。
バレエダンサーの吉田都も同じである。
きっかけは何であれ、結果として興味をもって見てきている。
スタイリストの川村都、こまつ座の井上都、元宝塚スターの古城都、演歌歌手の大月みやこには特別関心はもっていない。