小泉純一郎引退

コロンビア大に行っていた息子、進次郎(四世)の継がせ時と判断したのだと思う。
政治理念がないのはもちろん、政局における自分の立場とか子分たちの行く末とかも全然気にしてないからこの人。
政治家が世襲というと批判されるが、アカデミズム、文学、芸術、スポーツ、どこも世襲ばかり。
多少分野が違っていても、同じ業界内ということはよくある話だ。
で、みんな自分の身近な世界となると、案外普通に受け入れている。
知り合いの○○教授の息子さん、とかいえば、たいていニコニコ迎えるものなあ。
ま、私も人情の人なので、というか最近若く初々しい人を見るとみんなかわいく思えてしまうのでニコニコするかもしれないが、世襲とか系譜とか襲名とかいうのは元来だめな方なのだ。
「育ちのよさ」のよさはあるとしても、「独り」じゃない感じが違うと思ってしまう。



Bon-temps pas bosco 「幸運は猫背ではない」(トリニダード

ラフカディオ・ハーンの「ゴンボ・ゼーブ」から拾った言葉だと思う。
たぶん自分で生み出した心身健康術「斜め上健康法」と結びつけたのだ。
背中をすっと伸ばし、斜め上を見て鼻から息を吸うと、交感神経が作用するのか、どんよりした気分が多少しゃきっとなる。
普段から元気いっぱいの人や、気分のコントロールができている人には関係ないかもしれないが、私には効く。

自分が今、緊張してるか弛緩してるか、そんなことを若いときは意識していなかった。
無意識のままかちかちに緊張し続けたり、だらっと弛緩し続けたりしていたものだが、今ではよく考える。
家にいるときでも、通りを歩いているときでも、あえてお臍と肛門にものすごく力を込めて過ごすことが多い。
そうした方がいろんな意味で緩みに抵抗できる気がするからだが、心身含めて、人の存在のためには緊張と弛緩とどっちのほうがいいのだろうかと考えるとわからなくなり、たまにわざと弛緩しっぱなしになってみたりする。

最近、沖縄かぶれで「西」と書いてあると「イリ」、「東」と書いてあると「アガリ」と無意識に読んでしまうけれど、イリエ、いや、西江雅之先生の『風に運ばれた道』を読んでいたら、「イリ」とは日の入りのこと、「アガリ」とは日が上がることだとわかる。
そういわれれば、そうに決まっているよな。