遠すぎるハイチ

続々書籍にもなっている高山正之のコラム「変見自在」(週刊新潮)。
よくいるタイプの論客なので気にも留めずにいたのだが、今週はハンティントンの『文明の衝突』で日本同様「異質な国」として挙げられているハイチについて書いていたのでついつい読んでしまった。

 異質とされるのはまず言語で、周辺がほとんどスペイン語なのに、ここだけはフランス語を話す。
 宗教も異質で、よそがキリスト教なのにハイチはアフリカ起源のブードゥを信仰する。
 それは持ち主のフランスが植民地経営の行き詰まりを理由にここを放棄し、その結果、宗主国の文化が徹底しなかったためと分析されている。
 いずれにせよ他の黒人国家よりは一世紀半も早く独立し、生意気にフランス語をしゃべり、自分の宗教を持つ異質さを残した。
 ハンティントンにはそれが小面憎い日本みたいに見えたのだろう。

もう認識として間違い過ぎていて、どこから指摘していいものやらわからない。「ハイチ史」を読んで書いているらしいが、誰が書いた「ハイチ史」だというのか。そこには「ハイチ革命」が起きたという有名な話は書いてなかったのか。

 実をいうとここの政治的な不安定さも元は白人が持ち込んだものだ。そのヒントがクレオールになる。[…]モンテスキューは「黒人は金貨よりガラス玉が好きだから人間のはずがない」、つまり家畜だと言った。クレオールはその家畜に産ませた子というわけだ。
 ここからが日本人には理解し難いところだが、白人の血が一滴でも入れば、半分家畜でも二階級特進して一気に白人扱いになる。[…]例えば冷戦時代のハイチを牛耳った独裁者デュバリエ。彼は実は一滴も入っていない。彼は黒人主義を掲げ、国旗まで変えた。

モンテスキューのこの行は、原文では前後すべて条件法。
「もし私が奴隷制支持派だったら、しかじかのように考えるだろう」という長々とした皮肉な文で、それをモンテスキューの意見として断定的に訳すのは読み間違い、あなた、フランス語が読めてないわね、と大先生に叱られること間違いなしである。

しかし「一滴でも入れば」「一滴も入っていない」って、そんな、あまりに非科学的な。
「人種」や「階級」は輸血かなにかで決まるんですか、高山教授?

こんなことが大部数を誇る活字媒体で書かれ、大学の授業で大学生相手にも話されているのかもしれないと思うと、ひたすら果てしない気持ちでいっぱいになる。