アブラ・ココブラ

「Pua rata uraura」をなんとか踊れるようになり、12回の1クールが終わる。
アパリマはウクレレの軽快な曲に合わせ、腰で取るリズムを基本に手で表現をするダンス。
apaは「演じる」ことを、rimaは「手」を意味する。
バレエのマイムと同じといえばそうだが、「花」や「山」や「人」を手を使ってあらわす仕方が優美。

基本の下半身の動きにかんしていえば、日本で、というか東アジア周辺では、こんなふうに腰に焦点化した舞踊は歴史的に見てもないだろう。
少なくともたいていの日本人の体は、腰だけを別個に、自在に動かすというように訓練されてこなかったと思う。
腰を切るように左右に放り投げるタイリ・タマウは基本で、これだけでも鍛練が必要だけれど、高速で腰を回すファアラプなど、腰そのものより交互に深く曲げる膝と腹筋の動きが要となって結果的に腰が振れるという仕組みがやってみるとわかる(できないけど)。
左の腰だけ前に出して後ろに引き、次は右だけ、というヴァル(=8)は腰で水平に8の字を作るもので、この片腰だけを動かすという動作は自分の体にとっては初めての経験だった。

ということで、音楽に合わせて深く下半身を落とし、それぞれの動きを突きつめていくのがとても楽しい。
このまま鍛練だけをしていたい。
と思っているが、周りは集団で来ている、norahよりは多少キャリアの長いマダム方。
さまざまなおしゃべりが聞こえるが、先日は何度もくり返される「ココブラ」という音の連なりが耳に残った。
何でしょう、コ・コ・ブ・ラって。
そしてさらに聞こえてくるのは、各自の体の部位にかんする悩みとココブラとの相性についての赤裸々な報告。
とても一般的な主婦イメージの人々とお見受けするが、これが「はじける」ということなのか、それとも当然なのか。

まったく想定していなかったが、鍛練の先にある世界を少し垣間見た。
雑誌「オリ・タヒチ」などによると、タヒチの舞踊の衣装は、基本的にモレ(腰みの)やグラス・スカートなど植物の葉や木の実などを使って作られるという。
そのコンセプトじたいは自分好みだと思う。

しかしそもそも人に「見せる」というのは相当なレベルであるべきではないのか。
私はもちろん、今しばらくは孤独な鍛練にしか向かわない。

ちなみにPua rata urauraは、英訳によれば「赤く輝くラタの花」。

プアラタ・ウラウラ
アブラ・ココブラ
コブラ・セキララ