非モテについて

見栄えはいいけど態度や行為がダメすぎて魅力ゼロ、という若い男子やさほど若くない男子を何例か見ていて、最近よくいう「非モテ」って何だろうと考える。
彼らは非モテなのか、モテていたりするのか。

「外見がよい」イコール「フェロモンがある」では全然ないなど、ある程度ものの見えている大人は誰もがわかっていることで、「顔が悪いから彼女ができない」などと書き連ねていた秋葉原の犯人はその点まったく間違っている。

外見も含めたフェロモンの多寡で公けに値踏みされることの歴史が浅いゆえのナイーヴな傷つき方なのだろうか、と知人と話した。
女性の場合、そんなことは当たり前の前提なので、そうした前提に対して自分がどういうスタンスを取るかはより冷静に、とっくの昔に選択されているものだ。

男性の見栄えがうんぬんされる歴史が浅いといっても、それは最近のように大っぴらにという意味で、女子同士でこっそりとということだったら、そんなことは大昔から行われている。
人間の雌だって動物なのだから、異性の外見を性的魅力の一部として値踏みするのは当然のふるまいだろう。

そういいつつ、自分が最近の若い女子の一般的な感性を共有している自信もまるでないから、今いわれている「非モテ」が表すものが結局どんな感じなのか、正直よくわからない。

しかし「モテ」だの「非モテ」だのが、ここまであからさまに浅ましく取り沙汰される世の中が悲しい。
そんなことは密かに気にして、「あー、そんな下らないことを気にしている自分って馬鹿馬鹿」と時々心の中で反省するぐらいの事柄であってほしい。