セゼール、危篤状態から脱出

危篤が伝えられ、一部ネットでは死亡情報も流れたエメ・セゼール(94)だが、Le Quotidien紙の最新記事によれば、一命はとりとめた模様。
9日、心臓疾患による呼吸困難からフォール・ド・フランスで緊急入院し、この数日は危険な状態が続いていた。

エメ・セゼールは1913年、(現在の)フランス海外県マルチニック生まれの詩人・政治家。
1945年から2001年まで首都フォール・ド・フランス市長、2005年までマルチニック進歩党党首を務めた。

ちょうど今日、ユーザン・パルシーのドキュメンタリー『エメ・セゼール』(’94)を見ていたところ。
ハイチ独立がいかに意義深いできごとだったか語った後で、1946年、フランスの海外県化の功績を語る、その矛盾が興味深い。
理念として突きつめれば矛盾だが、独立や革命を遠ざけ、トゥサン・ルヴェルチュールにもクリストフ王にもマルコムXにもなろうとしないセゼールの政治家としての懐は深い。
「海外県化」は「同化」であり、文化的な観点からは侮辱的ともいえるが、私は「内容」contenuを取るのだ、というその内容とは、物質的豊かさや衛生や教育といった生活レベルを指す。
この人は本当に政治家なんだなあと思う。
一流の詩人でありながら、同時に一流の政治家でもある不思議。

撮影当時、70代半ば(たぶん)なのに50代ぐらいにしか見えないセゼールのぴかぴかさ(明晰さとエネルギー)にも感心するが、ペレ山など島の景色や海、深い草のなかを歩く詩人の足元、太い幹の大木と張りめぐらされた枝といった映像(『帰郷ノート』朗読をバックに)もとてもいい。
大木の巨大さと、パパ・セゼールの生命力が重なって見えるというものだ。