ウチダ先生の引用から…

内田樹先生が、私が前々から思っていた以下のようなことをいっている:

『冬ソナ』はユジン(チェ・ジウ)になりきってミニョン(ペ・ヨンジュン)に恋をするという心理設定で見ないと意味がわからないという話をする。
現代日本の一般男性は「少女の身になって少年に恋をする」という想像的な心理設定の訓練を子どもの頃に受けていない。
学校でも家庭でも、そんなことは教えないからである。
そのせいで彼らはある種の物語を享受することができなくなっている。


現代日本の」と限定されているが、諸外国でどうなのか私は知らない。
だが確かに自分の周りで、この種の「心理設定」のあるなしによる相互無理解はしばしば見聞する気がする。

私は10歳のときにジョルジュ・サンドの『愛の妖精』を読んで、「恋」というものがどのようなときめきやほてりを意味するのか、身体的に実感するところからその文学的経験をスタートさせた。
だから、「感情移入」の初期設定が「少女」になっている。
若草物語』や『あしながおじさん』や『赤毛のアン』に夢中になったのはそのせいである。


男性の内田先生がこのような初期設定をおもちなのは、まこと稀有なことである(口調うつった)。
自分のことをいえば、多くの女子と同様、まさにここからスタートしている。
みずからの言語、みずからの文学空間を、大人になってもこのまま(こういう趣向のまま)維持する人々も恐らく多いのであろう。
また、スタート地点がここであっても、社会において自分の言語が外的要素に影響を受け、異変を起こしてゆくこともあるだろう。
私など、『赤毛のアン』大好き少女100パーセントの自分の言語を後天的、そして徹底して意識的・人工的に改造している。
いろんな意味で、そうしなければならなかったのだ。
だから私や私のような人々の言語はさまざまに分裂していて、文藝ガーリッシュでもあれば、某教授につねづねいわれるように、お前ほんとオヤジだよなーってことでもあるのである。
まあ、そういったらすべて人の言語はそのように雑多なものを取り込んで成り立っているのだろう。
…ただ、この「少女」設定があるかないかがもたらす軋轢は大変に大きい。

『女は何を欲望するか?』の中のフェミニズム言語論批判で、私がフェッタリーやフェルマンの「すべての女性は男性として読むことを強制されている」という論を退けているが、それは彼女たちが「女性として読んでいる男性読者」が存在する可能性を一度も吟味していないからである。


これはフェルマンらの論を退ける根拠になるのだろうか。
「女性として読んでいる男性読者」としての内田先生は、あまりに例外的なケースであるように思えるのだが。

「男性として読むことを強制されている」のかなーという違和感なら、これはもうしょっちゅうである。
内田先生が師と仰ぐ哲学者が「他者とは女のようなものである」などと断言すれば、ああ普遍的だと無条件に感動しなければならなかったり、植民地下では主人から奴隷女を一瞬「盗」んでさっさとやらなきゃならないから、俺ら「マルチニック人」は早漏になったのだという「悲惨」と「疎外」に共感しなければならなかったり、もうあっちこっちで耐え難きを耐えー忍び難きを忍びー、ってこれも近代日本で士族の子弟たちが天下国家や立志を語るのに発達した「ニュートラルなツール」である漢文訓読体の典型的表現をつい使っちゃったけど、まあそんな感じで、「するっと、自然に、納得」なんてことはひとつもないわけだ。

内田先生の件の本は読んでいないが、だいたい内容の想像はつく。
共感する面も多いながら、あの徹底した中庸ぶりにもいろいろ思うところがあるものの、それはさておき。
今問題にしているのは、個人の言語がもつ想像力の射程というようなことである。

ものすごく乱暴ないい方をすれば、70年代半ば以降生まれの比較的若い男性(分類は細かい)は、自分の言語形成がどうであれ、そういう問題の所在を感覚的にわかっている人が断然多い。
だから、わかってるのに何でいちいちそんなこと問題化するの?という気分もあるんだろう。
いや、その通りです。
でも世の中、ずっとそうじゃなかったのよ。
ロゴスがそうじゃないものを排除していく、目に見えない力ってすごいんだよ。
いや、若くない男性方でも、わかっている人、繊細な言語感覚をもっている人、いろんな種類のエクリチュールに感応できる人、対話しようとしている人が、周りにはたくさんいることももちろん知っている。

関係ないが(なくもないが)、『河原荒草』以来、私は伊藤比呂美の作品を見出し、評価してきた。
『日本ノ霊異ナ話』『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』にも感銘を受けたので、まとめて考えようと思っていた。
どこかで活字にしておくべきだった。
今、時間がない。後悔。

花冷えでベランダのバナナ、かわいそう。
でも入れたり出したりはよくないだろうしなー。
それぞれ幹にセーターを巻いてやる。
枯れないか心配。