石原都知事と新銀行東京

新銀行東京の経営難にのぞむ石原慎太郎を見ていると、日本の家父長制などしょせんは西欧からの借り物、機能なんかしてないのだというかねてからの持論がますます確信となる。
西欧の、特に英米圏とかユダヤ系の家父長制っていうのは、リーダーとしての強いお父さんが威張り腐ってすべて構想し、法律上の権利もすべて独り占めして、おかずなんかもクジラの刺身が一品余分についてて*1、その代わりいざというとき全責任を取り、家族全員を守ってくれるものだ。
だから半端じゃない抑圧がかかるんだと思う、父にも、息子にも、娘にも、お互いに。
それはいやな人にはいやなものだが、理にかなってはいるシステムである。
日本の家父長制って、そんなふうじゃなかったと思うね。
形式的に威張れる環境につけ込んだ「威張って甘える」無責任「家父長」の多さ。
だって無理なんだよ、どだい多くの日本の男なんてたいした構想力もないし(私にいわれるようではお終いである)。
しかし石原慎太郎って、まったくそういう空虚な日本の家父長のカリカチュアそのものだよね。

金融については詳しくないが、たいがいの専門家が、400億の追加出資で建て直しは不可能と見通している。
グランドデザインを描き、自分が任命し、しかも終始周りに意見もいわせず威張りどおしだったのに、この腰のひけた責任転嫁ぶりには呆れるほかない。
人生威張りすぎで自省を知らずに歳をとると、こういう恥知らずになるのだろうか。
ずいぶん昔に70代の美濃部都知事(当時)を「前頭葉の退化した老人」などと口汚く評していたが、ここ数日の現都知事には、まさに「耄碌」という表現が思い出される。


きっぱり責任取れや。
中国人より韓国人よりフランス人より優れていると自負しているニッポンのなら!

*1:イギリスなどへの皮肉です