蒸気とブラッドベリ

粒子の細かな蒸気だけで、人間ここまで回復するものなのか。
もともと蒸気とか蒸発ってものは好きだけれど。
白く、しゅわしゅわと煙って立ち消え、心なしかほんのりと温かく、でもそれは気のせいで、steamというよりはvapeurというこの鼻から抜け出る感じ。
失踪することを「蒸発する」とはよくもいったものだね。

こぽこぽという湯の微かな音を聞きながら、一度も咳で飛び上がることなくひと晩を眠れるこの快適。
フスコデでラリる前の先々週は、横になると発作がひどくて寝ていられず、前屈姿勢の睡眠方法を編み出した。
名づけてハンプバック睡眠(別名:座頭睡眠)。
これはなかなかいい。
最近、体が硬めなので、柔軟にしておいたほうがより楽。
いざという時、体は柔らかいにかぎる。
しかし所詮座り寝なので、あまり疲れは取れない。

加湿器をひと晩使うことの難点は、朝起きた時、部屋中湿ってしまうこと。
湿らせたいのは人間だけなのに、カーテンも、その辺に置いた衣類もじっとりしている。
窓を開け放って真剣に換気をやらないと、すぐにカビが生えそうだ。
ヴィックスのこの加湿器、消費電力がやたら多いのも気にかかる。

届いたばかりの吸入器はすこぶる好調。
4ミクロンから15ミクロンの、すっごく微細な蒸気が喉の奥をうるおしてくれる。
タオルを胸に巻いて、マスクから蒸気を吸っていると、高校生の頃、音楽準備室で順番に吸入したのを思い出すなあ。
あの冬の室内の暖かさ、静かな中での、強い蒸気の音と熱。

一瞬で読めるものをと思って読んだ『さよなら僕の夏』。
6年生か中学生の頃、ブラッドベリのいくつかの短編に熱狂した後、なぜ『たんぽぽのお酒』を何度も読みかけて読めなかったか今わかる。
寛容でない文藝ガーリッシュ保守本流には無理だわ、これは。
今は心が広いので、多くの文学作品を、そのいい部分に注目しながら読むことができるけれど。
でも「以下ネタバレ」だけど、はっきりいって末尾の老人とダグ少年それぞれのモノローグには苦笑する。
人生最後の勃起に哀愁をおぼえる老人と、性の目覚めを体験する少年。
「身体をずっとしたへといって、胸、へそのさらにした、二つの腰骨のあいだ、脚が合わさるところ」にいる(というかある)それは語る。
「「きみの名前はなんていうの?」/ぼくに名前をつけてください。ぼくたちはいつも名前をもっています。少年はみなぼくたちに名前をつけます。大人はみなその名前を一生のあいだに一万回は言います」
…アハハハハ。
でもnorahは名づけの問題にはちょっとうるさいから引っかかるの。
っていうか、そうなんですか? みんな少年は名前なんかつけるんですか?

私ならこう言おう(今日の箴言:女性版)。

本来の役に立たなくなった生殖器は物入れにでもしておけ。
(ただし覚醒剤以外)

子供時代の読書はいい。
啓蒙も意図も読み取らずに、魅惑的な細部だけに溺れられる。
嵐が丘』も『ジェーン・エア』も怪奇小説と思って楽しんでいたあの時代。
今ではポスコロな読みができるなんて。