過酷な書店

最近よくあることだが、本屋(生協)へ行くと壁面いっぱいの本にぼおっとなって、たくさんあったはずの買わなければいけない本が何なのか、タイトルも作者も一文字も思い出せなくなる。
新曜社フェアでも何かほしいのがあったはず、新刊文芸書でもあったはず、文庫でもあったはず、でもなんにも思い出せない。
柄谷行人がこの前書評していた誰かの本を、うん、たぶんこれだ、と思って買って、今書評の切り抜きを見たら全然違う本だった。
師匠のcさんが昔訳した何とかいう動物関係の本がちくま学芸文庫になったということだけど、まるでキーワードが思いつかず、立ちつくすのみ。
そうこうするうちに目眩がして、猛烈に胃のあたりが気持ち悪くなり、向かいの図書館のトイレに駆け込む。
また戻る。
果てしない気持ちのまま、本を探す。
また吐き気がしてくる。
友人というか先輩の、たぶん初めての単書を見つけたが、腕が痛くて棚の上のほうまで届かない。
間違った本の他に、ルイ・ジャン・カルベの去年出た何とかいう言語関係の本も買った。
隣の部屋に置いて手元にないから、もうタイトル忘れてる。
本屋というのは過酷だ。
知力と体力がついていかない。
アマゾンのサイトを前にしても、よくそういうふうに真っ白になる。
何もかも「誰か」とか「何とか」で研究者が務まるのか…