今年もついてない

去年はつくづくうまく行かない年だったが、今年はそれに輪をかけてさらに悪い。
たとえばエントリーした何かに落ちるだとかはまったく自分のせいとして、それ以外にも理不尽な扱いを受けたり、来るはずのお仕事が手違いで回ってこないことになったりと、不可抗力のこともいろいろ。
運とかバイオリズムとか、そういうこともつい言いたくなるね。
もう今年の総括めいているけれど。

授業をしている大学の体質が聞けば聞くほど腐敗しているから、保険としての新しいお仕事は歓迎だったのだ。
良識があり、かつ転職能力ある専任の先生たちは、そのうちみんな辞めてしまうのではないか。
非常勤だから大学の体制と関わることはないけど、もしかして倫理的に受け入れられない局面がこの先ないともかぎらない。
さらに親がしばしば倒れる昨今、実家と反対方向にやたら遠い立地も気にかかる。
そういう問題点をすべてクリアするいいお仕事だったのになー、ちぇっ、ついてない!
ここで今日の箴言をひとつ。

民青と信者とは、互いの姿を鏡で見ている。

全然うまく行かないわりに、最近何だか上機嫌。
ここに来て気分がずいぶん変わった気がする。
自分がうまく生かされるはずなどない、華々しいことなど人には起きても自分には起こりえない、絶対的に味方である他人など初めからいないという諦念がデフォルトになっていて、敗北感に苦しむことがなくなったようだ。
そういうとネガティヴなようだけれども、いわゆる「負け組」など世の中にはいくらでもいるのだし、理不尽に負けていたって、その人たちが上機嫌でいる権利はあるはずなのだ。
キャリアも業績もお金も立派な家族も若く健康な肉体も何もなくても、季節の推移や路傍の石ころや野良猫やテレビの野生動物や人とのおしゃべりだけで、じゅうぶんにやっていけるよ、人は。
これもあるいは祈りの一種なのかも。
マイナス面があるとすれば、諦念が過ぎてやる気がなくなる恐れが出てくることか。