フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 (国立新美術館)

アムステルダム国立美術館所蔵の絵だが、オランダには偶然の機会でもなければ行かないような気がするので(人種問題が絡んでサッカーの代表チームがいつの間にか全員白人になってしまってるなど、あまりいい印象の国ではない)、場所が嫌いな六本木なのと、混んでるに決まっているのがいやだったけれど、仕方なく足を運ぶ。
ウェブサイトによれば、金曜夜が「比較的ゆっくりご覧になれます」となっていたのでそうしたのだが、それでも混雑ぶりは危惧したとおり。
いったいどこからこれほどの人が湧いてくるのだろう(自分もだけど)。
「牛乳…」のところでは係員の若い女性が、歩きながら見る方は左へお進みくださーい、ゆっくり見たい方は右へお進みくださーいと、憔悴しきったやる気ゼロの声。
「ゆっくり」の方はかなり後方から見ることになるので、「歩きながら」にしたのだが、こんなのちゃんと見たうちに入らないよなー。
「本物」といったって、ガラス越しだと光って質感とかよくわかんないし。

ということで、色も光も好きな絵だけど、こういうのはすいてる空間で見たいだけ見ないと意味ないなと、そう思うだろうと予想していたことを思った。
他の同時代の風俗画も、光の加減や、生きた動物、死んだ動物(市場の魚とか鶏肉)や、細々した作業をする人物など面白くはあったが、こんな苛々する見方をしたのではきっとすぐに忘れてしまうと思う。
(というか、ゆっくり見たって、私の場合よっぽど面白いと思ったもの以外は全部記憶から抜けてしまうんだけど)。

アメリカにあるフェルメール13点のうち、メトロポリタン美術館とフリック・コレクションとワシントンDCのナショナル・ギャラリーにある12点は、気軽な感じで何度も見たので親しみ深い画家となっていたのだ。
一番見たいのはハーグにある「デルフト眺望」。
うちの近所にある大きな屋敷のお蔵の壁を「デルフトの黄色い壁」と心の中で呼んでいるが、描き込まれた「本物」の山吹色の壁を機会があれば一度見てみたいものだ。
といっても、一生見なくたって別に構わないとも思うけれど。
そういいながら、次のフェルメール展にも行くかもしれない。

なぜ都市の人々はここまで熱心に美術館や劇場に通うのだろう。
「今月はこれに行ってあれに行ってあれにも行って、まとめて芸術しちゃったー」といってた知人がいて、心底馬鹿だと思ったことがある。
まとめて芸術するなよ。
「norahさんは本当にそういう所へ行くのが好きで、そうやって自分を高めているのね」と親族に変な褒められ方をして、穴があったら入りたいほど恥ずかしかったこともある。
自分を高めるために!
…何と不届きな。
次から次と繰り出されてくる都会の催し、何を思い、何を求めて集まってくるのだ、人々は。