歩くこと

感覚がもっとも敏くなるのは、人といる時でも、ひとり部屋にいたり眠ったりする時でもなく、ずんずん歩いている時のように思う。
それは知らない町であれ、葱をぶら下げているいつもの裏道であれ。
早足で通り過ぎると、冷気のつめたさが、通りの景色が、町のにおいが、一層くっきり意識され、自分自身の輪郭も濃くなってくる。
ずっと家で作業の日でも、外を歩く時間というのは貴重である。

歩いている時あまりに無防備だとパートナーにいわれたという友人の話。
何で女って歩きながらそんなに危なっかしいんだと。
確かに私からもそう見えるので同意した。
周囲を何も見ていない、空気を察知しない、何が危なくて何が危なくないかに不注意だ。
通行人Aと通行人Bのどっちが危なそうで、リスク回避するのに危なくない方に近く歩くとかいうことをとっさに意識しない。
これはたぶん、国外や治安の悪い土地に住んだ経験などとも関係するとも思うけれど、無防備で無感覚な歩きというのは、概して日本人に、なぜか特に女の人に、さらに特に若い女の人(高齢者は仕方ないとして)に多い気がする。
サンダル履きでお財布をじかにもってるOLたちなど、一度痛い目に遭った方が学習できるのではないか。
パンツが見えそうなスカート丈の女子高生、あれはファッション的にあの丈がベストと考えやっているのはわかるけど、わざわざ劣情を抱いているとひと目でわかる男の前に立っているなど、無防備というより動物として馬鹿に見える。
疲れるほどの緊張はいらず(個人的にはパリを歩くと非常に疲れる、もちろん楽しいけど)、でも適度な意識で楽しい徒歩が楽しめる町なのに、東京は。