十月大歌舞伎:怪談牡丹燈籠、奴道成寺

誘われ、ミーハー気分で歌舞伎座へ。
まるで詳しくないけれど、せっかくだから美しいもの見て教養でも高めましょうというスタンスだったのだが、これが思いがけず楽しかった!
歌舞伎の怪談って、あの大劇場で大勢で見て怖いはずもなかろうし、どうやって趣向を凝らすのかなと思っていたけど、笑うものだったのですね。
いや、高度な所作とセリフによる洗練された笑いですが。
何に感銘を受けたかというと、玉三郎のおばさん臭さ。
妖艶で美しい玉三郎なら、誰もが知っているし私も知っている。
しかし、しぐさと口調と声音で見せる世話女房お峰=玉三郎のリアルでかわいいおばさんっぽさはそれをしのぐパワフルなすばらしさと思った。
すごい役者である。
(前回、20年ぐらい前に歌舞伎座で見たのも、仁左衛門(当時は孝夫)と玉三郎の美男美女コンビで「仮名手本忠臣蔵」だった気がする。)
ちなみに「おばさんっぽさ」というのは、自分にはたぶん欠けている要素であり、今後も身につかないだろうが、世界の中ではものすごく重要なものだと思う。
つまらないファロサントリックな構図に落ち着いてしまいそうなところを突き崩す力となれるのがおばさん。
女が腐ったような男の、あるいは女が腐ったような男のような女の感性というのは、結局のところどこまでもマイナーで非力なものである。

ウイルスチェックのソフトをシマンテックから別の社のものに変えてみたとたん、今まで悩まされてきたパソコンの妙な重苦しさから嘘のように晴れ晴れと解放される。
何だったのだ、この二年間は。
何だったのだ、あの我が物顔に起動し、支配するソフトは。