ミャンマーとイラク

軍事政権の締めつけが続くミャンマーで、カメラマン長井健司さんが銃弾に倒れる。
死者の身元の判明以来、各局が故人の過去の仕事を流し、政府高官から大手メディアのキャスターにいたるまでが故人を偲び、弔意を示し続けていた。
痛ましいかぎりのニュースだが、数年前イラクで起きた人質事件とつい比べてしまう。
あの時異様なまでのバッシングを浴び続けた三人のうち、たとえば郡山さんと長井さんは職業も同じなら、事件にいたる状況もよく似ている(郡山さんが生還したことは別として)。
にもかかわらず、世間からの、政府やメディアからの、この扱いの違いは何なのだろう。
それはNHK、民放各局に食い込む力をもっていた長井さんと、「一流」でない郡山さんの違いなのではないか。
やはり人は命の重みに差をつけるのだと感じられる。
これは能力の差(長井さんがたとえすぐれたカメラマンであるにせよ)というより、優良な人脈や力をもった縁故につらなるかどうかの差といえるのではないか。

長井健司さんのご冥福をお祈りします。



度が過ぎて汚い場所の清掃は、消極的なルーティンとは違って生産的である。
ニコチン・タールと埃の合体物、その他謎の諸物体に触れ、夏以来の阿鼻叫喚。
清められた場所からは、新しい何かが生まれる(たぶん)。
変なものに腰かけてしまい、お洒落なティアード・スカートが台無し。