盆バカンス

何だか毎年お盆の頃はフランス語を書いている。
大したことないはずなのに毎度つらい。年とともに楽にならない。
つくづく学習能力が低い。
来年もやってるだろうか。
そろそろ違うかたちの仕事もしたいものだ。

続けて人が死ぬ夢を見た。
大事な人が死ぬのと、広末涼子の自殺を知る夢(勝手に殺してすみません)。
はっと目覚めて起き上がって窓の前に立つと、真夏らしい色をした桜並木がいつもと同じくそこにあって、中からは蝉の音が響きわたっている。
本当に誰か近しい人が死ぬときもたぶんこんな感じなんだろう。
つまり植物や蝉や鳥の声も周りの風景も、その人が死ぬ以前とまったく変わらず存在し続いていて、そのことを不思議と思うだろうということ。
自分が死ぬことを考えると、やっぱり夏がいいな。
梅雨明け後からツクツクボウシが鳴く前までがいい。
その時期が、って今だけれど、私にとっては一番季節的な幸福感が強い時期で、どんなに不幸でも「ああ今、夏だから幸せなんだった」と思えるし、つらくても、腕が痛くても、暑くて死にそうでも、同時にうれしい。
というか、つねにそういう両極の感情を抱えもっている季節な気がする。
7月に入ると「大事に大事に日々を過ごさなきゃ」と思い始め、8月も今日ぐらい深まってくると大事に生きる気持ちに焦りと悲しみが混じってくる。
とにかく外の世界(自然界)に対してすごく意識的になってるので、年間通して最も生きている実感が強い。
だから死ぬにしても、楽しい気持ちで死ねていいと思うのである。
しかも自分が息絶えるときに蝉とか鳴いてたら、「あー、自分は死ぬけど他の命は続いてるんだなあ」と感じられていいと思う。

暑さで枯れる直前にとったミントの葉を使ってモヒートを作った。