サルコジとかサルトルとか

フランス大統領選と両候補の政策について、女子学生たちがあまりにしっかりした意見を次々述べるので感激。
ほとんどの子はまだ選挙権もないっていうのに、社会のしくみをよく理解してるし、いろいろ考えてるんだなあ。
(学生の間では、ロワイヤルのほうがやや優勢だった)
クラスによっては石か何かに向かって話している気分になることもあるので、今どきの学生も一括りになどできないなと思う(でも後になって、あの時は面白かったといってきたりするので、それもよくわからない)。
傾向としては、学力によらず女の子のほうが社会や周りへの目配りが断然あるし、自分はどう思うのか、意思表示がはっきりできる気がする。
男の子はね…
総合的に成熟していてすごいなーと思う学生は一流大学ではたまにお目にかかるけれど、何となく全体の印象としてはね…
院生男子にそのことをいったら、「学部1,2年の男なんて、どこの大学でもウジウジしてるかボーッとしてるかのどっちかですよ、ぼくはウジウジでした」ということだった。
男の子っていくつになっても自分のことだけ考えてる、自分の狭い興味の中に没頭している人が多いからな。
なんか結局、人生がそれで済むようになってることが多いんですね。
それがすばらしい仕事につながったりするんだけど。
女の子は社会的に大人で散漫ですね。
そうしなければやっていけないようになっていることが多いんですね。
まあ誰もがそうとは言ってません。

そんなふうに二項対立で言えるものなんだろうか?(サルトル
サルトルってさー……身体あるの?
などとここしばらくムカムカ思っていたのだが、鈴木道彦『越境の時―一九六〇年代と在日』を読み始めて何かいきなり心が動かされた。
長年の究一郎派である私が道彦ファンになるかもしれない予感。
もちろんサルトル=道彦でもファノン=道彦でもない。
これを含めて、たまたま買った新書を数冊猛然と読む。
畑信也『知っておきたい認知症の基本』、池上俊一『魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち』。

あまり大きくない大学で、キャンパス内の書店がキオスク並みだとがっかりする。
並んでいるのも教材をのぞけば、売れ筋の雑誌や本ばかり。
誰も買わないから置かないということなんだろうけど、これじゃ悪循環だ。
図書館があるといっても、「本を買う」っていうのも若いうちに身につける文化だと思う。
大学の生協とか書店とかってだいたい奥まったところにあるけど、学生だけじゃ商売にならないっていうなら、もっと校門の近くとか外に接した場所にして品揃えをよくして、一般客も入れる町の本屋にしてしまえばいいのではないだろうか。
っていうことは、以前近くにろくな本屋がないところに住んでいた頃、思いついて近所の私大に行ってみたら、キオスクよりも小さい書店で愕然としたときから思っていた。