「良識がない」都民(県民)たち

前頭葉が退化した老人に都政ができるか」といって、70を過ぎたところの美濃部都知事を揶揄したのは、当時40代の石原慎太郎だったが、若い頃には議員の定年制を主張しながら、いざ老齢となり若手から邪険にされると「小泉君は情がない」などとぼやいていたのは中曽根康弘であった。
現在の自分やその同類しか認められない人々、というのはいる。
私個人は、70代でも80代でも能力を伸ばせる人はいると思う。
そのような人々は、「今の自分以外」の可能性をも認められる柔軟な想像力の持ち主であるはずだ。

統一地方選も含め、体調も含め、何かしっくりしない週末だった。
先月の集まりの続きということで、アンテロ・プレケール(プレカリアートの知識人)の飲み会に出る。
私は学籍もある語学の非常勤講師だけれど、大学の制度とか労働者の権利とかそういうことにめっぽう弱い。
だいたい会社にいた時も、残業とか考えずにずっと仕事をしてしまう傾向にあったので(今もある)、それもニッポンのオヤジみたいで何だよなーと反省する部分もあるにはある、のである。
だから行ったんだけど、何か同意することも意見することもできず、体調もとても悪く、どんよりして大人しいまま帰ってきた。
帰っていろいろ調べたり考える。
専任の教員と非常勤の待遇差があまりに大きく、結果的に非常勤は生活が困窮する。フランス語を20コマ教えながら、やっと子供を養っている人の例など。また最近では東京外語大と明治大で、数十人規模での語学非常勤解雇があったという。そういう給与面や雇用の安定に関しては大学側に対して格差是正を要求していくべきだと思う。
日本学生支援機構(旧・日本育英会の財務処理機構)に奨学金を返す必要なんてない、というのはどうなんだろう?
この機構は3年前の発足以来、有名人を広告に使い、確かに返還の徹底を呼びかけている。
諸外国では大学生は在学中グラント(返還義務のない奨学金)をもらえるのが常識だから、日本の制度はひどすぎるということだったけれど、その真偽はさておき、この奨学金は税金の一部によって賄われているはずだ。しかも借りている人は、返還義務を承知の上で借りているはず。
正当な抗議として成り立っていないと思うし、まして、広告に出ているからといって作家兼研究者を批判の中心にするなどズレ過ぎている。
それからTA、RAが安い時給でこき使われているというのは、よくわからない(判断がつかない)。
もともとこうした制度は、院生への奨学金のようなもので、ほとんど仕事はさせられないものだったと先輩格の方はいう。
確かに私も5年ぐらい前にやったことがあるけど、その頃も鼻をほじっていてもできるほど(ほじっていませんが)楽チンだった。
今はそうでもないらしい……ということだが今ひとつ懐疑的なのは、私の経験からいって、院生って全然大したことない仕事でも大変だ、大変だ、俺様ともあろう者がこんなことに使われてるってすぐ大騒ぎする傾向があるのだ。
まったく社会に出たことのないヤツはよー、とつい抑圧的に言ってやりたくもなるのである。
(まあ、でも現在のTA問題については無責任なことは言えない。本当に改善すべき状況にあるのかもしれない)

ネオリベ批判、格差社会批判流行りだから、その一傍流に就職口のない文系の院生が乗ってくるのは理解できる。
現実に解消すべき問題もある。
彼らは確かに無責任にネオリベ知事に投票したりはしない。
それでも、社会の構造によって本当に逼迫させられたワーキングプアと同じではないだろうと思ってしまうのである。
私は科学や経済学だけでなく人文学もじゅうぶん人の役に立つ研究分野だと思っているし、研究環境に対する国の投資は行われるべきだと思うが、「自分にはサラリーマンは向いていないから」などと嘯き、他のやり方で働きもせず、それが許される環境にいながら文学や現代思想をやり続けてる大量の院生全員が無償で養われる必要などないとも思っている。
少なくとも好きな研究をやり続けていられる自分が今受け取っている奨学金が、ワーキングプアやワーキングリッチ、あなたたちの馬鹿にするサラリーマンが納める税金からまかなわれていることに思いを馳せるぐらいはしてほしい。
構造批判はその後だろう。
正当な抗議と自分が見えないままの批判とを同時にやるのはマイナスだと思う。