アンティーユのフランス領年譜

アンティーユで現在も仏語語彙系クレオール語が残る地域はハイチ、グアドループ、マルティニック以外にもある:
サン・マルタン、サン・バルテレミー(この二つは行政区分としてはグアドループ)、ドミニカ、セント・ルーシャ、セント・ヴィンセント&グレナディーングレナダ、トバゴ(トリニダード・トバゴ)(後ろ5地域の公用語は英語)。
以下、アンティーユにおける仏植民地経緯の詳細をちょっとまとめ。

1640 仏領
1804 ハイチとして独立

17cにオランダ・フランス入植
1648 蘭領・仏領に分離

  • セント・クリストファー・ネイヴィス(別名セント・キッツ、サン・クリストフ)

1624 英が入植
1625 仏、同島へ入植
1627 中部を英が、北部・南部を仏が取得
1664 これ以後、英仏で争奪戦
1713 ユトレヒト条約で正式に英に
1782 仏が攻撃
1783 ヴェルサイユ条約により英領

1667 西→仏の所有を経て、英領に

1648 仏が入植
1784 スウェーデンが入植
1878 仏領に

1635 仏領
1756 英領に
1783 ヴェルサイユ条約により仏領

  • ドミニカ

1635 仏領
1763 パリ条約により英領。以後、英仏の争奪戦
1805 正式に英領

  • マルティニック

1635 仏領

  • セント・ルーシャ(サント・リュシー)

1660 仏領
1663−67 英領
1814 正式に英領に

1762 英、入植
1763 英領に
1779 仏領に
1783 パリ条約により英領

1650 仏が入植
1674 仏領に。カリブ族多数虐殺
1762 英領
1783 ヴェルサイユ条約で正式に英領

  • トバゴ

1580 英国人が「発見」
17-18c、蘭、西、英、仏などが争奪戦
1662 蘭入植者、仏ルイ14世より認可。仏西インド会社支配
1677 蘭・仏の争奪戦、蘭撤退
1748 英仏の中立地帯として合意
1763 パリ条約により英領
1802-1803 アミアン条約により仏支配
1815 パリ条約により英領

  • その他年譜

1660年代 コルベール財務総監、砂糖生産に重点
1685 黒人法典施行
1756−63 英仏七年戦争
1734 英、奴隷解放
1848 仏、奴隷解放

バルバドスが仏領だった経緯はないが、フランス人の年季奉公人が渡っていた。
1782年、一時的に仏が英領モントセラトを支配。