文藝ガーリッシュ

近頃「文藝ガーリッシュ」なる分類がある。
森茉莉金井美恵子マンディアルグコレットに…。
要するに(一般的な)男には評価されない文学ってことかな。
どうやら俺も経てきたものばかりだな。
リストはまだまだ続く。
多和田葉子の『ヒナギクのお茶の場合』にマリーズ・コンデの『わたしはティチューバ』?
ほんとにそうなら、俺なんか文藝ガーリッシュの保守本流じゃん。
でもここには断絶あると思うけどな。
自分にとってアンティームなものだけ愛するのと、世界への好奇心を示すのと。
むしろ(っていうのは自分の読書歴における別の候補として)プルーストの「花咲く乙女たちのかげに」とか「コンブレー」のほうが文藝ガーリッシュかも。
コンデを出すなら、トニ・モリソンの『私も青い眼がほしい』なんかのほうが近いんじゃないだろうか。
エイミー・ベンダーはバリバリ文藝ガーリッシュね。
=========================
また俳句を作った。

鱈ちげのハハフフと喰う師走かな     norah-m

イニシエーションならではの味柘榴の血  norah-m 

(創作意欲がくすぶっている)
=========================
世間はクリスマスだなどということを考えずに25日にイタリア料理屋に行ったら、ひとり1万円も取られる。
何度か来たことのある店だから、いつもの値段設定は承知のうえ。
年に何度もあることじゃないし、ワインの好きな友人とふたり、食前酒とボトルを頼んでお料理はシェアしてひとり6000円ぐらいは覚悟していた。
メニューの前菜もメインも、普段より高めなことに気づくべきだった。
シェアはご遠慮くださいなどという言い草にも文句をいうべきなのに、いい気分だったのでボリュームあるにもかかわらず「私はこっちー」「私はこれー」などと頼んでしまう。
他のお客も仕事関係らしい同性の連れとかなのに、BGMはずっとクリスマス・ソングで店側ばかりが盛り上がってて馬鹿みたい。
こじんまりして北イタリア料理の美味しい、大人向けの店なのに、当分行くのはや〜めたと思う。
こういうナメた商売をしていると、結局損するのはそっちだ。