バブル文化論、キャンディーズ、魂萌え!

気づいたら、9月上旬からカウントしていたpvが1万を超えていた。
見ているのは知り合い3人か4人、それに加えて「咳、ツボ」とかの用語検索で表示される「いちげんさん」だけだと思っていたけれど、他にも来てくれる人々がいる様子。
他人へのサービスで書いてる日記ではないのに、読んでくれてどうもありがとう。
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このところ、心のなかでの一人称が「俺」になっている。
もう気分はヤケクソだからかな〜?
以前は心中のおしゃべりが大阪弁だったこともある(私は関東出身)。
一人称で一番問題ありなのは「僕」だと思う(敬語としての「僕」は別)。
原宏之さんが知識人男性のジャーゴンというようなことをいってて「まさしく!」と思った。
その原さんの著書『バブル文化論』を読んでいる途中、テレビでドラマ『魂萌え!』の総集編をやっているのが目に入り、つい全部見てしまう。
あの内容で通俗ドラマ化されるとどうにも生々しい。
しかし。
男と女は何も変わらないみたいなことを言う人がいるけど、たとえばこの人物の設定を男性にして心的描写が成り立つと思うだろうか。
私は、(社会的な立場ともまた別に)感情の機微にジェンダー(ああ、また吐き気のする用語を使ってしまった)による傾向はあると思う。
男だったら多くの場合、心を閉じて関係から逃れて楽になりたい、遠くへ逃げたい、ひとりになりたいと思うのではないだろうか。
カタルシスへ向かうにせよ、そのあり方は違う気がする。
そう決めつけるのもナンだから、反論があったら聞いてみたいけれど。
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今日は好きに過ごしていいと決めた一日。
今週何人かの友人からもらったお誕生日メールに、お礼の返信を書いたりして過ごす。
遠くで気にかけてくれる古い友達というのはありがたい。歳をとるとそれに加えて若い友達、新しいけど大人同士の友達、いろいろできていくからいい。
私はノリだけの友達とかは苦手なので(相手がこちらに大した興味をもってないのを感じると傷ついちゃうから)、そんなに数は多くないけど。
そういえば、この前テレビで見たキャンディーズが73年から78年の5年間しか活動していなかったことを知り、びっくり仰天した。
ドリフのアシスタントでぽってりしたスーちゃんが真ん中だったデビュー時から、芝居がかったランちゃんを中心にピエロみたいな衣装で泣き崩れた解散までをも見守っていたキャンディーズ
私の今の感覚だと15年間ぐらいにかんじられたのだ。
毎年毎年、時間の進みがどんどん早くなっていくのが恐ろしい。
キャンディーズ解散頃の時代が話の起点となっている『バブル文化論』は、その後の時代、こちらが皮膚感覚でかんじてきたことを明快にまとめてくれているようでぐんぐん読める。
80年代・バブル文化・ポストモダンなどについて論じたものは普段読もうと思わないのだが、この著者はネットなどでの文章から何となく信用できると思っていた。
やっぱりね。