書評と新人賞選考

だいぶ前に書いた書評の掲載誌が届く(d/sign)。応募原稿の一次選考をした文学賞の結果が載った雑誌も届く。
編集者には「いい批評だ」といわれた書評は、あらためて読んでみるときつい(辛口という意味で)。
二世議員、二世外交官、二世学者(すごく多い)。存在は否定しないけど、「実家」という父権制を無意識に内面化しながら、父権制一般を批判するような態度(すごく多い)には抵抗を感じる。こと人文学でそういう無意識は迷惑なので、有益無害な文献学だけやっててほしい。
何ということもない文章と思われるだろうけど、実はこれを書くのに二十冊ぐらい本を読んでいる。ひとえに日本の古典に関する無学ゆえ。いい勉強になった。
外国のことをやっていて、自分の足元のことはよく知らない。そのくせカリブのことも、フランス語も、アメリカのことも大して知らない。恥じ入るばかり。
文学賞のほうは、今回私がいいと思ったものが最終選考に残らず、少し寂しい。以前読んだものが受賞したときは、少しうれしかった。
編集者だったらもっとクールに引いて見てると思う。作家だったらもっと自分のことしか考えない。いったい私のスタンスは何なのだ?
師匠には、そういう仕事は(編集者的な目を養いすぎて)自分のためによくないんじゃないといわれた。もしかしたらそうなのかも。とりあえず収入にはなる。
今年は投稿論文を二本書いて、研究会での発表を一回とコロキアムを一回やっただけで、公けの活動はほとんどしていない。創作もしてない。フランスにもカリブにも行ってない。
博論に専念するためというのが理由なのだけど、その分研究がすごく進んでいるわけでもないのだから情けない。
ハイチである学会にお誘いを受け、とても惹かれたものの、病に伏せっていてエントリーするどころではなかった。
まったく非活動的な年だ。