桐ヶ丘散歩

秋も深まり、友達と赤ワインでも傾けたいところだけれど、仕事が始まってますます咳き込みが激しくなり、人と楽しくおしゃべりすることも叶わず。ホットヨガで体をほぐすことも叶わず。
咳き込み始めてもう一ヶ月を超えた。同じ性格、同じ体質のマルセル・プルーストとは同年齢で気管支喘息を発症したから、この分だと咳き込んでるのに飲み会に出かけて肺炎をこじらせ、51歳で死ぬかもしれない。
しょうがないから一人遊び。秋晴れのため、久しぶりの桐ヶ丘へ。
諏訪神社という小さな神社を訪れる。小学1年のとき描いたここの拝殿の絵は、後にその天才的にインパクトあるタッチを評価され、区の特選をもらうのだが、クラスのカズヨという女が「ここの線が曲がってるんだよね」といって、醜い余計な線をくろぐろと描き足してしまった。
たぶんそのやり取りを見ていた先生が私を呼び、「これは誰がやったの?」と問いただした。抗議するよう言われるのだと怯んでとっさに「自分でやりました」というと、先生は「そ」と冷たく引き下がり、私は後ろめたいながらもほっとした。信じられない。
今だったらどうするだろう。
意外と同じふるまいをくり返してしまうかもしれない。
カズヨは大人びていて、硬筆のお手本みたいな字を書く優等生面した子供だったが、実はトウモロコシのことを「とんものこし」とか書いてる無教養を私は密かに軽蔑していた。性格悪い。
その小学校も、中学校も、崩壊しそうな銭湯も、この一年の間になくなっていた。給水塔は健在(ちょっとマニアになってる)。
首を挟まれて大騒ぎになった「円盤公園」の円盤はますます朽ち果てていて、何なんだかわからなくなっていた。それにしても、今大人の頭を差し入れても余裕があるのに、何であの時頭が挟まってしまったのかよくわからない。単に恐ろしく不器用だったからな気がする。
昔、むき出しの赤土の崖下で、防空壕がいつまでも放置されている恐い空間があった。その前にはぽつんと長屋が並んでいた。蕎麦屋に入ってその話をすると、蕎麦はまずかったけどおばさんが話に乗ってきて、今のだいたいの場所を教えてくれる。駆け下りるのが恐かった赤土は鬱蒼とした植物で覆われていたが、適当な感じで塞がれた防空壕らしき跡を発見。
バリ島土産のシャツだった洗いざらしイカット布で、パソコン用のアームレストを作った。かなりお洒落な仕上がりで、使い勝手も上々。こういう小間物づくりはほんとにうまいと自画自賛