スターダンサーズ・バレエ団、ピーター・ライト版『くるみ割り人形』、新国立劇場

長年ファンである吉田都とフェデリコ・ボネッリ主演。吉田はシルヴィ・ギエムアレッサンドラ・フェリと同世代だが、ギエムと違って純粋古典派、叙情的な可憐さが持ち味、とまるでタイプの異なるダンサーである。むしろフェリとはタイプが似ているものの、フェリ(90年代前半まではすばらしいオーラを発していた)が何年か前に見たとき既に旬を過ぎていると感じさせたのと異なり、今でも十分現役感がある。
二幕後半に登場したときは他のダンサーにはない存在感がかんじられ、一昨年の『ジゼル』では見られないグランフェッテ・アン・トゥルナンなどを披露するさまも華麗だった。もっとも金平糖の精という役柄のせいか、『ジゼル』ほど胸を打つ踊りではなかったけれど。
シルヴィ・ギエムは「ダンサー人生のエコノミー」というようなことに関して相当意識的な人だけれど、同じ40代で現役を続ける吉田もまったく意識的でないはずはないだろう。だがギエムが、体力のピークを過ぎた90年代半ばから徐々に『白鳥の湖』のような古典演目をやめ、その脱構築的動きがダンサー泣かせだというフォーサイスをやめ、そして昨年でベジャールの『ボレロ』を最後にしたという意識的・選択的な道筋をたどっているのに比べ、吉田は一貫して淡々と古典演目の中から踊れるものを踊り続けているようだ。
ところで構成のいびつさ、テーマの奇妙さが魅力の『白鳥の湖』をのぞき、チャイコフスキーの『くるみ割り』『眠れる森の美女』はどうしても子供じみた作品の感があるから、大人の鑑賞に堪えるためには装置や衣装のとび抜けた洗練か、ダンサーのスター性に頼るしかないと思うのだが、その点でいえば、出演時間の短い金平糖の精の役に、体力のピークは過ぎたがオーラのあるベテラン・ダンサーをあてるのはいいことだと思う。ダンサー界では常識なのかもしれないが。
ちなみにスターダンサーズ・バレエ団の装置は、その辺のロシアのバレエ団などよりいつもずっと洗練されていると思う。
クララを踊った林ゆりえも、十代らしく若さを感じさせる動きがよかった。
熊川哲也が見に来ていた。ロイヤル・バレエつながりということか。