留学の季節

フランス語を書き出すと、俄かに気鬱になる。
夏は留学する若者たちを見送る季節。いつの頃からかそういうことになってるなあ。そういう若者と話していると、彼らが異国での未知の体験に胸を膨らませながら、その体験を経た後の自分というのも想像しているのに驚かされる。こういうクロノロジックなセンスは私にはない。
留学時代の体験というのはかけがえないものだろうし、次なる世代への刺激にもなるから、帰国後いくらでも自慢して利用すればいいと思う。とりわけ貧乏暮らしはこの日本では自慢になる。数万円の家賃が払えなかったでも、通貨が暴落してつらかったでも、ジャンジャン自慢すればいい。
でもその経験をなんらかの弱さなどと結びつけるのは控えてほしい。だってそれはどう見たって特権的な豊かさの過程、もしくは豊かさそのものなんだから。
留学で思い出したが、先週のテレビ「ドイツ語会話」で久しぶりに多和田葉子を見たら、少し顔が変わったと思った。ちょっとやつれて老猫のような顔、40代の顔をしている。よしもとばななはあまりの普通人っぽさに驚かされたが、この人はいつも完全に一般と一線を画した作家の顔をしている。