サッカーと愚痴

伝聞だが、日本×クロアチア戦のVIP券で試合を見た人の話。この券だと試合前に控え室でシャンパンとお食事が振舞われるそうなのだけれど、そこに何と選手23人全員がVIPのお客様へのご挨拶に現れたとか。試合直前の選手にこんなことをさせる上層部の神経はどうなっているのだろうか。なぜ問題化されないのだろうか。数日前には朝日新聞で、テレビ放映用にあえて灼熱の時間帯に試合をさせたとの報道も読んだ。スポーツの協会・団体はなぜこうも非常識さが目につくのだろう。
昨日は録画しておいたメキシコ×アルゼンチン戦を見ていたら、いいところでいきなりブチっと映像が終わった。これは協会でなく私のミス。延長戦のことを失念していたのだ。体調を崩してしまい、あまり夜更かししないようにしているのだけど、やはりライブで見ないと緊張感が半減。日本はメキシコのようなサッカーを見習ったらいいのではないのだろうか。よくわからないで思いつきを言っているのだが、体の大きさは日本人と違わないながら、小回りが利いてスピーディで強いサッカーをしているから。
昨日のイタリア戦では、生まれて初めてトッティをかっこいいと思った。王子だった頃より、逞しく信頼感あふれるオッサンになって、私的には好感度が増した。私はヒディング指揮下のオーストラリアとオランダが粗野な感じがして好きではなかったので(オランダの場合は人種問題も含めて)、これも私的にはよい結果。
関係ないけど、「おばさんメール」に立腹している。私ぐらいの歳だと、アドレスは一家にひとつ、パパが設定してママが管理、みたいな人も時々いて、それは勝手なんだけど、こちらは個人のアドレスだと一目でわかるのに、こちらの家族宛ての内容を断りもなく何度も送ってきては私からの返事を求めてくるのだ。個人=家族という自分の感覚・常識を完全に世界共通のものだと思っている様子。やめて欲しい旨を伝えても、まるで悪びれない。古い友人でごくたまーの付き合いだから、文句を言うにも神経を使う。鬱病を病んでいる別の友人からは、最近は親しくしていないのにいきなりカウンセラー扱いされて、相手が相手だけにそれもまた消耗するし。
小説を書いたから読んでくれ、というのも、場合によってはすごく困る。読んで共感できなかった場合、慇懃な態度でお茶を濁されるのは私だったら陰険に感じると思うから、批判すべきはするけれど、それもまたどっと疲れる。そういう相手の気持ちを少しは汲んでほしい。というより、人が自分の書いたものを読んでくれるって大変なことじゃない?少なくともその一点に関しては、私は毎回誰に対してもほんとにありがたく思い、感謝している。当たり前のように読んでもらえると思うなんておかしい。当たり前のように人が自分の話を一方的に聞いてくれると思うことも、自分の常識を共有していると思うこともおかしい。おかしすぎる。