夢のお告げ

新学期の講義を控え、準備が進まないまま気ばかり焦っていたのだが、昨夜の夢のお告げにより第五回までの内容が決まる。どうしてそんなことが起きるのか。
以前も夢に教えられるということがあった。覚醒状態のとき「イタリア語で『いくらですか』って何ていうんだっけなー」と考えながらどうしても思い出せなかったのに、その直後の夢の中では、自分で「クワント・コスタ?」と誰かに尋ねていたのだ。ただちょっとケースが違うと思うのは、「クワント・コスタ」の場合、一度は記憶したのに忘れてしまったことを無意識の中で思い出すという例だけど、昨夜の夢の場合は夢の中で思考しているということ。まあ、どっちにしてもよかった。これで5月中旬までは何とか行けそうだ。
埼玉の実家で寝ていると、寝ている地点と屋外の距離があまりに近く、かなり早い時間からすぐ傍にいるかのような子供の声や物売りの音が夢の中に飛び込んでくる。自分の状況がつかめなくて、いつもながら動揺する。
実家の近辺に来るたび、大したことない都心との距離に比しての途方もない最果て感に寂しさを募らせてきたものだが、最近は昔ほどの嫌悪感はもたなくなった。慣れたというよりは、これを受け容れるしかないという感じか。実家のある元ニュータウン、土埃の舞う畑、土手沿いの公園、うらぶれた病院、ニューファミリー向け現役ニュータウンなどをぐるぐる移動。菜の花や大根とセットのソメイヨシノ(まだ満開ではない)というのどかな風景ばかり見る。
いつの間にか、ダニに刺されて一周年が過ぎている(去年の3月26日)。跡は少し薄くなったけれど、まだ消えない。