60年代生まれ論

60年代生まれ論みたいなものを最近やたらと目にするが、ぴんと来ないものが多い。そのように多様であるのが、60年代生まれだということか?
確かに「宮崎勤」や「オウム」は同世代が引き起こした衝撃ではあった。それが現在のニート社会に連なる源泉という言い方も納得はする。
だが、そのように言う「60年代生まれの識者たち」と違って、あまり自分を含む世代論としては実感がない。
ところが身の回りの同世代の友人たちとしゃべってみれば、私と違い、元々優秀でトップクラスで来たような女性でさえ、今までの道のりにおいて私と同じような挫折、同じような実感をもってきたのだということがわかる。そういう人の中では、「宮崎勤」なんかより圧倒的にエポック・メイキングなのが「男女雇用機会均等法」だ。
この導入をきっかけに、表向きの進歩・平等と裏側の旧態たる価値観という、実にやりにくい二層構造が生まれた。私や何人かの同性の友人は、そうした中に置かれた忸怩たる感じというのを共通してもっている。たくさんの妥協をして敗北感を抱えるか、やりたいことのために、たくさんのものをあきらめるか。
でも8歳から10歳年下の世代ではもう聞かないから、結局時間を経て、法律も実体をもって機能するようになったということだろう。それはとてもいいこと。
私は最終的には、「世代論」みたいなところにこだわっていてもしょうがないと思っている。ただし「世代論」とくくられる中でさえも、何かずっと持ち続けた忸怩たる感じが封殺されてしまう口惜しさは残る。「識者」の人たちというのは、結局特別な自由人ということか。