手相

最近地震も多いが、雷と豪雨も多い。神奈川にいたのでそれほどでもなかったけれど、東京はすごかったらしい。バナナも激しく成長している。クロアゲハ、アオスジタテハ、キタテハなど、蝶もやたら飛んでくる。個人的な趣味だけでいえば、日本が熱帯になってもいいと思っているが・・・
アンドレ・デュソリエの朗読の話をしていたら、とある先生に『失われた時を求めて』の朗読テープ8巻分をプレゼントされる。そのケースについていたデュソリエの写真を見て、最近どこかで見たことのある顔だと気がついた。フランソワ・オゾンの映画あたりだろうか。
関係ないが、ヨガのハトのアーサナができるようになった(チバレイがコマーシャルでやっている、結構むずかしいポーズ)。
また関係ないが、手相の話。わたしの手相はしょっちゅう変化するのでつい見てしまう。生命線末端の支流がどんどんできていくのを、これまで旅が多い(故郷を離れる)相と解釈していたが、今日立ち読みしていた手相学の本に自分とそっくりの図が出ていて、社会での精神的な緊張と疲労がピークに達している証とあった。でもどちらも同じことを言っているのかもしれない。
いろいろな人の手のひらを見て面白いと思うのは、わりと気が合う人というか、友人になれる人の手のひらは、線のかたちはそれぞれ違っていても全体の複雑さにおいて似ているということ。あまり悩んだり野心的だったりしない人、ぽーっと気楽に生きてる人は、すっすっすーっという感じのシンプルな手相をしているのだ。