ガキ文化

風邪をひきかけている。片道34時間の旅行を数日後に控え、まじで危機感。飲食をしない間はずっとマスクをし、マヌカ蜂蜜とショウガを入れた紅茶を飲み続ける。レイトショーでやる「永遠のハバナ」はたぶん見に行けない。
ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送の攻防について。わたしはどちらの側にも批判的だが、堀江社長を本気で支持している人々が一番理解できない。アメリカ流グローバル・スタンダードということなら、新株予約権発行などに関してはフジ側だってそれに相当するはずなのに、あえて新しいわれわれと古いメディアという二項対立の図式を強調し、演出してみせるのが堀江社長のやり方。ルールに則りどんどん起業して日本経済が潤えば=みんなハッピー、ネットを取り込んだ双方向メディアを発信して「いい」(どんな?)コンテンツを作れば=企業価値は上がる、こんな間を抜かした短絡的発想、あまりに単純な新旧二元論に納得するとは呆れる。
インターネット普及のメディアへの影響ということなら、すでに広がりつつあると思うが、それが必ずしもよい方向にだけ働いているとは思わない。誰もが発信できるようになってから、映画でも文学でも、さまざまな分野での公けの価値判断がシロウト臭くなっている。というか何でもありで判断力不在。一言でいえば子供っぽくてつまらない。わたしが今書いてるこのブログにしたって、文章のレベルも内容のレベルも誰にもジャッジされないんだから。活字にするときとは明らかに緊張感が違う。
もちろん旧来メディアのオヤジ体質の問題も大きいが、今してるのは別の話。ビジネスと報道、報道と歴史について考えさせられる。メディアは現在を扱うものでありながら、それぞれのメディアには思想的な偏向があるものだが、それは歴史の積み上げをどう解釈するかとも関係していたはず。堀江的なメディア・ビジネスの発想の中では、完全に無視されている問題だ。ものごころついてからそうした判断力不在の土壌にいた人はまったく意識しないことかもしれない。その土壌をつくった責任が誰にあるかという問題もある。ところで近所のミモザがきれい。