昨日買ったアディダスのヨガパンツを穿いて、当帰やサンダルウッドが入った花粉対策漢方香を炊き、太陽礼拝。ヴェレダで売っていたミルラとラタニア入り歯茎ジェルを塗り、雪肌精のハーブ入りパックにオタネニンジンのサプリ。われながら健康オタクだが、一応盛り下がった心身を必死で立て直しているつもり。
自分がやらなければならないと思っていることは、本来勝手にやっていればいいのだが、それをやらなくていいことと人にいわれつづけるのはやはりつらい。そういう圧力を経験せずに無邪気にやっていける人々を見ると、正直おまえに何がわかるという気になってしまう。
「島をわたり島をめぐれば、光や土地はどんな人間も平等に、全面的に受け入れてくれる。人間はそうはいかない。言葉を知らなくてはならないし、個々の人間の奥行きをなす厚みも少しは知らなくてはならない。それは重苦しさやさびしさにも、思いがけないおもしろさや感動にも、つながることがある。それでも、旅は準備なく突然にはじまっていいと、ぼくは思う。光の表面をそぐようにして深みに分け入り、小さな発見をくりかえすなら、それがいちばんいい。」
「人が本来的なつながりなど何もなかったある土地を好きになることも、とりたてて意味があるわけではない小さなできごとを思い出すのも、必然性も理由もなかっただけに不思議で、さびしく、楽しい。だがその偶然のむすびつきが、現実に人の行動を変え、世界の物質的な相貌を実際に変えることがある。くりかえそう。旅のはじまりや言葉の学びはじめは無根拠でいいと、ぼくは思う。無根拠な接続が、強いられた接続に苦しむ人々にとって、思いがけない解放をもたらすこともある。」
師匠もそういってるので旅に出よう。今日は朗読会。