André Schwarz-Bart, La mulâtress Solitude, Seuil, 1972

アンドレ・シュワルツ=バルトの『混血女ソリチュード』を読む。1802年、ナポレオン軍がグアドループの奴隷たちを制圧するため、上陸した際、最後まで抵抗したマルーンの一味で、鉈を片手に戦った実在の女性ソリチュードの生涯を詩的なフランス語で小説化したもの。追いつめられたマルーン軍はマトゥバの要塞で集団自爆を遂げるが、生き残った妊婦ソリチュードは子を産むまで生かされ、出産の翌日、ギロチンにかけられる。
同じ年、『奇跡のテリュメに雨と風』を刊行した妻シモーヌと驚くほど似た文体だ。二部構成で、本編となる主人公のパートに先立って母親のための短いパートがあるところも同じ。どちらかがゴーストなのではと思ってしまう。たぶんアンドレシモーヌからクレオール的詩的言語を、シモーヌアンドレから小説をかたちにするための構成を学んで、それぞれの小説が生まれたのだろう。
1部:(ストーリーより気になる細部を中心に)バヤングマイ(ソリチュードの母)は西アフリカ・バラント国のデルタに生まれる。そこは生者が死者を敬い、死者が地下から生者を助ける土地。バヤングマイの名前はディオラ語で「透明な睫毛をもつ者」を意味。祖母に生き写しで、祖母はそのまた祖母の生き写しで…と鏡のように連続しているという(テリュメと名前なき女王を思い出す)。バヤングマイの気がかりは耳のとがった少年コモボ。いつも耳元で「ザリガニ」という。コモボは自分がザリガニになりきって赤い丸い目を飛び出させることを夢想したりする。バヤングマイもコモボに豚や鶏の名前を投げつける。バヤングマイが年寄りの許婚と結婚する直前、二人の恋人はマングローブ林をカヌーで下り、ザリガニをとり、笑い転げて三日を過ごす。二人はParlant peu et conversant de toutes choses (ほとんどしゃべらず、あらゆることを会話した)。バヤングマイは結婚し、夫の老妻たちに初夜のしたくをされ、躯を弓形にする体位を教わる。結婚後、村は白人に襲撃され、人々は枷をつけられて奴隷船に乗せられる。ことばも通じ合わないさまざまな部族の黒人たちとの船旅で、白人たちにレイプされる。コモボに永遠の別れを告げさえすれば、いつかアフリカの岸辺に戻り、かつて地上でしたように地下であらゆることを会話できるだろうと思う。
2部:プランテーションでバヤングマイ(マン・ボベット)の娘ロザリーが誕生。肌はバナナの花色から茶色に変化し、目は片方が緑、片方は暗い色。母ボベットのところには、逃亡をくわだて脚を切られた義足の男が通ってくる。ある日、バンバラの娘が乳児を殺した罪で糖蜜に漬けられ、赤アリを全身に這わされる刑を受けるが、ボベットと義足男は同じカニの目をして、卑屈なまま。が、夜になると二人でこそこそしている。母たちの性交をのぞいていて見つかり、ロザリーは母に激しくぶたれる(「この肉(白い肉)は裏切るんだ」)。朝になると、母と男は逃亡している。その後、ロザリーはひどいドモリに。主人の娘ザビエールの傍小姓になり、両目の色から、ドゥ・アーム(二つの心)と呼ばれるようになる。引っ込めたカニの目玉のごとく見かけは従順になり、得意な歌を習わされるが、母がいるマルーンの森に口の中で出すケプケプという信号音を送ってみたり、マニオク果汁をエサに混ぜ家畜を苦しめたりする。
11歳でドゥ・アームは魂をなくしたゾンビとなる。獣同然で転売されるが、不気味な笑いを敬遠され、すぐまた売られ、躯は所有者の刻印だらけに。「ソリチュード(孤独)」と名乗るようになった彼女は、自分が砂糖の彫像で、フランス人がゆっくり食べていくという悪夢に苦しむ。1795年、王党派はフランスからの革命軍に敗北。「市民」に昇格したはずが、共和国軍の兵士たちは黒人を捕らえ始める。サンガというムドング族率いるマルーンたちはゴヤヴの森を本拠地とする。サンガはアフリカ的思考以外受け入れられない男。ある日、マルーンの見張りが川べりにいると、ソリチュードが現れ、視線の合わない目で滝つぼに入り、ゆらゆら水中生物のように揺れている。強烈なにおいを発しているソリチュードを男は陣地に連れてゆく。女たちは鼻をつまむが、頬が丘で腕が川の「山女」だけがソリチュードを火へ導き、足枷で傷ついた脚に薬草をかけてやる。サンガに名をたずねられ、困惑。ソリチュードなど人間の名じゃない、アフリカの名がないなら名なし(Sans nom)だといわれる(『テリュメ』の名前なき女王Reine Sans Nomと呼応)。で、お前は何色だとサンガに問われ、ソリチュードは二種類の涙を両目から流す。
ソリチュードは自分が空っぽで泡のように軽いと感じる。獣のように叫びながら、森で薬草を摘み、1000もの未知の植物に通じるようになる。アフリカ女のダンスを真似し、影響も受ける。変わり者の山女ユーフロジーヌは死体から拾った乳児を育てている。老いぼれているが、乳が出るように。夜になるとソリチュードは自分が黄色の犬となり、町を駆け巡る夢を見る。自分の夢か、犬の夢かわからない悲しみ混じりの喜びの状態。ある日、コンク貝の警報が響き、女子供は山へ逃れるが、ソリチュードは数人の女とともに男たちと武器をとる。「わたしを殺せ」と叫びながら白人兵に跳びかかり、鉈で殺す。陣地に引き上げ、目を見開き涙をためている。わたしはまだ臭い(白人臭い?)というソリチュードを、においは薄くなったと山女慰める。陣地は崩壊し、首長サンガは死に、子供、老人から次々死んでゆく。死体は足をアフリカへ向け埋めてやる。みなはソリチュードをリーダーと仰ぎ、彼女はサンガのやり方で雄たけびを上げる。
マルーンたちは禁じられた死者の森へ迷いこむ。ここでソリチュードは夫となる子供顔の死者マイムニと出会う。ソリチュードは夜、頭をかきむしるマイムニと数メートル離れたまま愛を交わす。ソリチュードは夜、自分がマイムニの躯にすっぽり入ってしまう夢で妊娠を知る。
1802年5月、ついにナポレオン軍が上陸。ソリチュードは躯中にさらしを巻き、マルーンの先頭に立つ。マイムニはいつも傍で夢見る様子でいる。人々は「死よ、万歳」の叫び。マイムニの軽い重みがソリチュードの肩に触れたと思うとどんどん遠ざかり、ついにはなくなる。人々は最後の砦マトゥバへと上ってゆく。重い腹を抱えたソリチュードを同志の女たち、トゥピやメデリスたちが押してやり、腹にオイルをすり込んでやる。いくつもの女の手が躯中に差し出されている。子供がやってきそうな感覚が海の中で海草や小魚と戯れるイメージとなる。
金髪の白人とソリチュードが光と岩のような闘いをするさなか、マトゥバに轟音がとどろく。デルグレスの仕掛けた自爆テロだった。300人以上が死ぬが、残った者は捕らえられて処刑されるか、レ・サントの崖から飛び降りる。ソリチュードは出産の翌日、1802年11月29日、ポワンタピートルの広場でギロチンにかけられる。緑の地にバラ模様のクレオールふう夜着を着て、老いて灰色となり、目がきょろきょろしていた。膝を振り上げる歩き方で独特のリズムを刻んでいる。盛装した白人たちがしなびたポムカネル(果物)を投げつけると、古びたにおいが広がる。ソリチュードの口元に暗くおだやかな微笑の影が広がる。処刑台わきの噴水に目をとめ、殺される黒人が水を飲み、さわやかに躯を洗ってアフリカの岸辺に向かう休息のイメージをもつ。「噴水よ、わたしはおまえの水を飲むだろう」と口走り、みなを驚かせる。喉から出る軽い不思議な笑い。メランコリーのベールにつつまれ、歌のような…。
ストーリーには関係なく頻出するeau salée(塩水)、eau douce(淡水)という言葉の対比が気になる。eau saléeの言葉がほしいというのは、アフリカの言葉がほしいということかもしれないし、アフリカ対グアドループグアドループ島はカリブ語ではカルケラ島――きれいな水のほとりを意味)と見るのが順当か。eau saléeはカリブの小説では「涙」の意味でも使うようだから、涙と海をかけているのか。アフリカでも生まれながらの奴隷で黒人により売り飛ばされたマイムニの曖昧さはマルーンたちのネグリチュードに対する批判的存在。祖母と孫とが瓜二つの家系という冒頭を思い起こせば、生まれた子供はバラングマイとして甦ることになるのか。