Gayatryi Chakravorty Spivak,« La mise en scène du temps dans Heremakhonon »,in Maryse Condé : Une nomade inconvenante, 2002, Ibis Rouge

スピヴァクの『ヘレマコノン』分析:時間の演出について。アフリカでの現在に混じってくるアンティルでの過去の時間だけでなく、くり返される「九年」という言葉。「介入してくるこの時間は物語世界の時間ではない。くり返されるこれらの中断(訳注「九年」という言葉を発すること)で、物語世界がそれ自身、いわば過去と現在を混在させながら、「アフリカにある」本来の(訳注:物語の)輪郭と記憶としての島との結びつきのなかに形成されてしまうことを阻んでいる」「介入してくる語りにならない時間はナラティヴの声が特権をあたえる時間である」
● 『ヘレマコノン』につきまとう二つの時間:「九年」、この地域で起きている「政治的」出来事の時間。作品全体が、行為の時間が不在であることの物語を語っている。
● 会話の描き方について:ギュメをつけた誰かの会話とギュメなしのヴェロニカの答え。読者は、思考とパロール間のナラティヴ空間がどう機能しているのか解釈することに対しての自由をもっている。
● 小説は、主人公の心理劇の時間と対決するような時間の形状/配置を演出するがごとく描かれうる。中心人物の機能によってのみ行われる小説の読みは、この可能性を考慮していない。
● 過去数世紀に及んで強大な国家に植民地化されてきた国相互のコミュニケーションの様態を述べることによって、「巧妙な侵犯」について語ることはできるだろう。これらの言語(訳注:部族の固有言語)は死んでいる、だがわれわれにはフランス語がある。ここでスピヴァクデリダの『他者の単一言語使用』に言及(支配言語とそのヘゲモニーに取り込まれざるをえない人々について)。
● テキスト内に散らばる固有名詞(部族/言語)について:人々の移動の歴史の堆積と植民地的混乱を含む。そのことを「知っている」想像域の地点から出発したとき、このテキストはヒロインの起源をはるかに超えた彼方にハイブリディティを秘めている。西欧の思考を超越するひとつの物語のハイブリディティは、さらにアフリカという統一的な名に包まれる。時間の配置が統一的な主人公に包まれていて、そのことがわたしたちの読書に影響し、本それ自体が別の時間を演出しているのだと忘れてしまうように。こうしてわたしたちは、「人種」とか「アフリカ」とかいった概念により、民族間の境界や言語・民族の名の可動性を忘れてしまう。
● われわれ読者は対象としての「アフリカ」を始動させてはいけない。それを始動させないことで、ソリーとサリウの政治的二元論を解体できる。もしアフリカが万事西欧の考える単一文化であるなら、歴史を通し多様性を表してきたサバルタンたちは語ることができない。
● 起源においては、記憶の構築にはある種の企みがある。この企みにより、個人の物語はより大きな物語に通じていける。この企みの道具のひとつ、実践的効果のひとつがランガージュ(言語活動、言語態)である。
● 記憶と歴史とを織り合わせる、「叙事詩」の進化したヴァリアントである『ヘレマコノン』。「歴史的」時間の非個人的異種混交による、この記憶のかたちを叙事詩的たわむれの移動と呼ぼう。
● 豊かな叙事的次元によって『ヘレマコノン』は、アリストテレスが悲劇と叙事詩を対比させて閉じてしまった扉を再び開ける。それは生成的な巨大な扉のことであり、個人の自己決定と結びついた歴史が、オラリテが奇跡的に記憶を転写するような方法にたいする大いなる理解不能のなかに書きこまれ始めたときには閉じてしまっていた。