Maryse Condé, En attendant le bonheur (Heremakhonon) (1976), Robert Laffont, 1997

マリーズ・コンデの長編第一作。1962年、ギニアのセク・トゥレ社会主義政権下で起きた現実の事件(一党独裁を目ざす政府による学生・教師たちの容赦ないパージ)を題材にしている。コナクリでフランス語教師をしていたコンデは、当時の不穏な政治状況のなか、完全に部外者として扱われながら、同僚たちが逮捕されていくのを目の当たりにした経験をもつ。
フランスから派遣されてきた教師ヴェロニカ。パリでは白人の恋人と暮らしていた。故郷のアンティル諸島にはもう九年帰っていない。家族が属する黒人ブルジョワ社会には嫌気がさしていた。
アフリカ到着後、学院長のサリウに迎えられ、その妻ウム・ハワとともに友情を築く。一方で政府首脳のイブラヒマ・ソリーの愛人となり、町と隔てられた白亜の邸宅「ヘレマコノン」に通うようになる。「先祖のいる黒人」、強い男であるソリーはアイデンティティの病人ヴェロニカを惹きつける。「わたしはnègreのいない、精神的な意味でnègreのいない土地、noirの土地を探しにやってきたのだ。つまり過去のある土地のことだ。現在なんか関心がない」89。しかし過去やアイデンティティの問題はソリーの関心事でない。「幸福の追求など西洋人に任せておく」102.「自分の関心事は植民地化が空っぽにした国を立て直すこと」100.ヴェロニカはここでは「戦士の憩い」となっている。「男らしさを補填しなくては。三世紀が(カリブの)男たちを単なる種馬にしてしまった」101
国は貧しく、お気に入りの生徒となるビラム3の身なりを見て施しをしたい気にかられるが、思い直す。「わたしは与えにきたのでなく、受け取りにきたのだ。手を前に伸ばして」39.ストの首謀者であるビラム3はほどなく逮捕され、強制労働に駆り出される。興味のなかった「彼ら」の問題を無視できなくなっている。ビラム3の逮捕後、サリウも免職となる。教室で生徒たちのヴェロニカへの中傷を発見。「この国では誰と寝るかは政治的立場を選ぶことを意味する」106
ヴェロニカは小さな村で調査の仕事をする。女たちは死んだ子どもと生きている子どもの区別がつかず、第一夫人、第二夫人同士、どちらの子供か判断できない。大規模ストが起きても、人々は説明することを知らず埒が明かない。西欧化され、心理学的説明をくどくど求める自分との違い137。地元の女性たちに対して「愛情と憎しみの間で揺れ動いていた」143。売春婦たちを見て胸が痛む。アフリカは何も発明していないというのなら、売春も西欧の痕跡だから。だが「売春婦は尻しか売らないが、アフリカのあなた方はわたしたちを売り渡した」147。
アフリカ人との齟齬。最初の諸問題が解決されている人々(国家のアイデンティティ?)160、新党結成を目ざすサリウたちの示威行動などへの反感。「たぶん子ども時代に自分をさらし過ぎたから」180.肌が黒いのに悪目立ちしていた家族の思い出。乳母マボ・ジュリーのカリブ女としての無価値な生の回想。なついてくるサリウの子どもたちを使って、不毛な者としてのささやかな復讐186.「被疎外者たちを逃れて島からここに来たのに、またここで別の疎外が作り出される」189。「三世紀半がわたしたちを引き離した。わたしがわたしの先祖たちをわからない以上に彼らはわたしのことをわからない」193「わたしはこの国で間違った始め方をしてしまったけれど、もう一度周りで起きていることに興味を持たなければ」194
大統領ムァリンワナ暗殺未遂・誤爆事件の後、ソリーはかつてのブーブーでなく、人民服を着るようになる(サリウと対照的)。武装した警官、軍が町を封鎖するが敵は見えない。「『彼ら』とは誰なのか?」213.ソリーはヘレマコノンに留まるよう命じるが、犠牲者の喪に服するため行進する人々の群れにヴェロニカも加わる。「自分を完全に軽蔑しきることがないよう」205.だが、ヴェロニカやフランスからのコーペランは結局部外者に過ぎない。サリウの逮捕を知り無力感をかんじる。町には戦車が横行する。「わたしは愛とか友情とか小さいもののことしかわからない。わたしの先祖はソリーを介し、わたしをひどい旅へと駆り立てた」224、「先祖はわたしに過去か現在か選ぶことを強いてくる」225.
ラジオでサリウ処刑のニュース。サリウがそばにいたときはその政治的影響を拒絶していたが、今その声に耳を傾けたいと思う。ヴェロニカはアフリカを去る。