コンタクトレンズ

このところ右目がどんどんぼやけてきて、読書がつらいので、コンタクトレンズを作り変えに行く。久しぶりに両目のバランスがよくなり爽快。しばらく左目ばかりに頼っていたり、気がつくと顔の右側を前に傾けていたりして、目が疲れ果てていた。しかし中島らもの教えを守って、「文学の徒としての目がつぶれるまでの読書」を心がけているので、いつか本当に目がつぶれてしまうかもしれない。でも考えたら、そんなに見つづけたいものがあるだろうか。最近あんまり映画も観なくなった。視覚で喜びを感じることも少なくなった。多和田葉子西成彦のいうように、耳のほうがずっと官能的な器官な気がする。
視力のついでに、身の周りにあふれている自分所有のモノに関しても「なくなってもいい」という気がする。非常時にも持ち出したい大事なモノと考えると、何も選べないのだ。捨てるほどではないけど、全部燃えてなくなってもいい。強いて挙げれば、バナナの鉢植え、ダマールの肌着(このおかげで冬は大変暖かい)、同じデザインを二足目のカンペールのウォーキングシューズ。でもどれも高いものじゃないから、すぐ買いなおせる。本はきりがないから選べない。