ルイス・ブニュエル『哀しみのトリスターナ』、ロマン・ポランスキー『Repulsion 反撥』、レジス・ヴァルニエ『イースト/ウエスト』、アンドレ・テシネ『夜の子供たち』

昨日から今日にかけて、これらのビデオを観る。あと三本、ドヌーヴ主演作品を観るつもり。数日前にヨガでまた首を痛めてしまってつらいので、首から背中にかけて温感シップを貼りながら。葛根湯も肩こりに効くというので、試しに飲んでみた。
『トリスターナ』は十年以上観ていなかったので、感激した。ドヌーヴのセリフがスペイン語なのを忘れていた。口の動きはスペイン語だし、声もドヌーヴそっくりだし、吹き替え者の名前も出てこないのはなぜ?それにしてもスペイン語を話すドヌーヴはとてもキュートだ。三つ編みの髪、パフスリーブの茶系ギンガムのワンピース、茶色のワンピース、すべて可愛い。ブニュエルの超カトリック的、偏執狂的世界の怖さを最大限引き立てている(この種の怖さが存在しないゆえの日本社会の陰険さについて考えさせられる)。『リパルジョン』の判断力なし、引きこもり系二十歳ぐらいのドヌーヴもとても新鮮。ドヌーヴの目と壁の亀裂が印象的な映画だ。背中がごつくなって、大女優や大学教授の役をするようになってからのドヌーヴも味わい深い。華奢な頃が嘘のような巨体だが、瞼の深い大きな目だけは変わらない。惹きつけられる。うっとりしたり、笑いたくなってくる。
スクリーンの上だろうと、関わり合いたくなってくる。具体的に関係をもてる気がする。多和田葉子のいうシネマのマーとはそういう具体性、即物性で関わってくれるものだという気がする。
四本観て、全部フランス語なのは『夜の子供たち』だけ。つい聞き取ろうとしてしまうが、俗語が多くてわからない。声を音としてとらえる『旅をする裸の眼』の「わたし」の気分に浸れる。一点語学的関心で気づいたことを挙げておくと、「ショッペー」と「しょっ引く」は意味も音も似ていると思った。