読者

ストーリー・テリング」という言葉が最近オブセッションになっている。小説とはたぶん他の人より親密に関わってきたが、私のなかでこの言葉の占める部分はそれほど大きくはなかったと思う。それがこれ以上先に進もうとするかぎり、このことを中心に考えないわけにはいかない状況になっている。
読者の気持ちということをいわれるが、誰より自分が読者だと思ってきた。小説の読者でいる時間は人より長く持ってきたつもりだ。読者としてマリーズ・コンデの新作を読みながら、ストーリー・テリング一辺倒の作品づくりに失望がおさえられない。人と人との因果関係を重要だと思っても、誰それがどうなってという展開の妙に面白さは感じられない。そんなことに喜びを感じていたわけではない。たくさんの小説を読むなかでその別の喜びの部分を養ってきたと思うのだけれど、そういう読者としての私と「読者一般」は違うのだろうか。
書くことも批評することも禁じられているような気がする。