非-力を擁護する理由、届かない郵便

バッティングセンターに握力測定器があったので自分なりに真剣に握ってみたら、3回の最高が18,4だった。
11歳女子平均が19,36、79歳女子平均が21,55。
なんとなく20代がピークで、老人に向かうにつれ衰えるのだと思っていたが、男子のピークは30代前半、女子は40代前半、そして子供よりは老人の方がだいぶ高い。
子供は手が小さいのだから、考えれば当たり前か。
そんなことより、私の手は大きくはないけれど普通の大人の手だというのにこの数値は問題だ。

もともと手の力は弱くて、外国に行くと建物のドアが重すぎて開かない、手動式のバスのドアが開けられず降りられない、日本でも映画館のドアは体当たりしてなんとか開けるという事態を情けなく思っていたが、最近ますます弱くなった気がする。
旅先で強い泡盛を飲んだ翌朝、ものすごい渇きとともに目覚めて飲み物を買いに行ったものの、ペットボトルの蓋がどうしても開けられなくて泣いた。
なんとかしないと生存していく上で問題。

7月にドイツに送った小包が、2か月半も経って家に戻ってきた。
なんとかシュトラッセ77番地を7番地と間違えたため、届かなかったらしい。
ちょっと調べればわかりそうなものだが、そういう手間はとらないわりにはドイツの郵便局にしばらく律儀に保管され、それから貨物船の片隅にちんまり置かれ、はるばる海を渡って神戸の港に戻された。
こんな小さなもの、よくなくなりもしなかったな。
モーヴ色と若草色がグラデーションになった絹の縮緬
子供の名前のカタカナ「リーヴ」を白で染め抜いてもらってある。
確かそういう中身だったと記憶してるが、その中身は包まれたまま何か月も誰の目にも触れていず、しかもものすごい距離を移動している。
なんだか不思議だ。