norahの日記(イニシャルなし)

好きな言葉を使って好きに書くことが許されないなかで書いてきた人々だっているのだから、その一字を使わずに書いてゆくことを決意。
(たかがブログで大げさな)
要は表現と語彙を工夫すればいいだけだ。
しかしこれは何から逃れていることになるんだろう?
自分の名?
母性?
男性性?
被虐性?

佐藤さん(下の御名は略)のハイチ・ヴードゥー儀礼の写真を、ご本人の解説付きで鑑賞する。
空や衣服の、深く暗さのある青が美しい。
女性たちの、頭部を覆うスカーフと衣装の黄色や格子柄のパープルが美しい。
なぜあの人たちは貧困のなか、あんなに素敵な服を着て、私たちはこんなに適当な恰好をしているのだろう。
巡礼地の滝と岩がすばらしかった。
四方からの清流が、一見して霊験あらたかである。
レゲエの国で傷だらけの痣だらけになりながら伝い降りたオーチョリオスの滝をちょっと想起した。

ヴードゥーの儀式の最初にはカトリックの祈祷があり、ヴードゥー信者とカトリック信者がほぼ重なっているというのが驚きだ。

トランス状態で周囲の男を誘惑し続けたり、木の上から数時間降りてこられなくなる人々がいる。
私はいっとき過呼吸に陥るたび短時間の気絶などしていたけれど、ひょっとするとトランスになりやすいのだろうか。
惹かれるところはあるが、大変にこわい。