お父さんが嫌いやったから…

斧を振り下ろして殺した少女。
父を斧で殺すとは意味深。
「お父さんが死ねば平和になるのに」と皆が内心思いながら、そのお父さんに必死で栄養を摂らせたり、へろへろになって世話や尻拭いをする愚かな家族というシチュエーションのほうが文学的にはいけてる、ような気がする。

田村隆一の『詩人のノート』と『腐敗性物質』を読む。
少し前に作った標語は「忙しい人こそ詩を読むべし」。
短い時間で深く新鮮な言葉の世界に行けると思うからで、特にサラリーマンなどにはお勧めだ。
「包帯をして雨は曲がっていった」「新しいガアゼを匂わせて」の詩で、偶然にも昨日古びて廃棄したブラウスに思い至る。
私は包帯というものが大好きで、けがはしていないけれどどうにかこれを使いたいと思い、白いブラウスに一巻分、フリルのような感じに不規則に縫いつけた作品をつくったのだった。
我ながらなかなかいい仕上がりで、まるでコム・デ・ギャルソン・ローブ・ド・シャンブルのよう。新しいガアゼの匂いも気に入っていた。

ここのところ、昭和時代に書かれた渋いエッセイも読みたいと思っていた。
頻繁に登場する列車の食堂車、私もあの空間が大好きだったなあ。
東海道新幹線に揺られながら飲むビール、崎陽軒のシュウマイ、ルイベ…
オヤジ的な至福の時間。
あと忘れられないのは、タイで乗った食堂車の、通路のコンロで煮炊きして出してくる(危ない!)熱々のトムヤムクン
80年代頃あった北イタリアの列車の駅弁:ラザーニャにブリックパックの赤ワイン、りんごなどがついていて美味しかった!
やはりこれらも今では消えてしまったのだろうか。

実は今朝まで「画期的な新訳、流れる物語」で売り出し中の、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたのだが、やっぱり時間をみつけて読む読書にはどうにも長すぎる。
それに人物たちのこの暑苦しさ、青二才ぶり、今の私にはちょっと乗れない。
昔はそこが好きで、ドストエフスキー、ずいぶん読んだものだけれど。

柳原可奈子のブティック店員のギャグ。
これ、ずいぶん昔から私も友達の前でやっていたよ。
2000年代に入ってからの女子の店員って、ほんとにみんなこの口調なのが耐えられなくって。
私の行動範囲で特にひどいのが、渋谷のマークシティ(の特に○コモ○ラ)。
この口調で迎えられると見る気がしなくなって、踵を返してしまうのは世代的な限界なんだなと思っていたけど、同世代の人たちでもウザいと思うことがわかってよかった。