申命記への疑問

必要があってモーセの言葉といわれる「申命記」をじっくり読んだけれど、つくづくひどい。
あなたを慕ってくる人がいたら、その人の耳をキリで戸に刺して奴隷にしていいとか、捕虜のなかに美女がいたら持って帰って妻にしていいとか、婚約した女が処女じゃなかったら石で殴り殺していいとか、去勢された男は仲間外れにすべしとか、紀元前のジイさん(享年120歳)のいうことだから1万歩譲って仕方ないにしても、自分たちと考えの違う民や他の神を敬う民はどいつもこいつも滅ぼしていいなんて狭量にもほどがあるというものだ。
「彼らの足がすべるとき、/わたしはあだを返し、報いをするであろう。/彼らの災いの日は近く、/彼らの破滅は、/すみやかに来るであろう。」とか「今見よ、わたしこそは彼である。/わたしのほかに神はない。/わたしは殺し、また生かし、/傷つけ、またいやす。/わたしの手から救い出しうるものはない。」とか、こんな寛容を欠いた言葉があれほど有名な宗教の聖典だなんてまるで納得できない話。
教徒の人々はほんとに「いい言葉だなあ…」なんて思ってるんだろうか。
旧約聖書も最初のほうは神話っぽくて話として面白いところもあるが、これでは含蓄も何もあったものではない。
何となくブッシュの顔がちらついてしまうな。
こんな人たちに恨まれたら最後だ。
私なんか誰かを恨んでも復讐しようとか滅ぼそうなんて考えないから、同じ恨まれるんなら私みたいな人に恨まれるほうが断然お得である。
(いやほんとは有名作家になったら○○新聞のあいつにこうしてやるとか妄想はするんだけど、現実にはあらゆる場でまるで権力がないから諦めてるだけ)

昔たわむれに履いていたルーズソックスで痛い右腕のサポーターを作る。
厚手だけど通気性のあるコットン素材、ほどほどのフィット感が秀逸だ。
総レースのブラウスの袖をスカラップの七分袖に改造したら、地味で中途半端な感じだったのががぜんお洒落になる。

下の前歯を塩で研磨したばかりなので、あまりのピカピカさについ鏡を見惚れてしまうけれど、コーヒーとか紅茶とか赤ワインとか、色の濃い飲み物は今日ぐらいまでだめと言われる。
好きな飲み物ばかりなので困る。
イエルバブエナというハーブティーを飲んでいるけど、やっぱりカフェインがほしいのだということを実感。