痺れと研究

何か霊が憑いているのではと思うくらい、毎晩のようにうなされる。
夢が二重構造になっていて、恐ろしくて寝られないような場所で寝かされているのである。
はっと起きると二の腕がものすごく痛くて、全部の腕と脚が重く痺れきっている。
もう今すぐ書かなきゃいけないものが最低2本、ほんとをいえば4本ぐらいあるのですが、手が痺れてるのと気鬱なのとで着手できずに焦るばかり。
今調べてること関係の本はここのところ30冊ぐらいは読んだかなー。
ミュシャンブレとかミュシャンブレとかルロワ・デュリとかギンズブルグとかギンズブルグとかミシュレとかフーコーとかフーコーとかフーコーとかフーコーとか池上俊一とか上山安敏とかノーマン・コーンとかバーストウとかスカールとかセルトーとかジャン・ドリュモーとかジャン・ミシェル・サルマンとかエヴァンズ・プリチャードとか何とかとかかんとかとか…
もう鼻の穴とか耳の穴から魔女たちがだらだら流れ出てきそうだ。
私は論理的な記憶力がないので、ほんとは15冊ぐらい読んだら何か書いてまとめておかないと、場合によると読んだことすら忘れてしまう。
1冊ごとにノートをとるような几帳面さもないので、付箋紙や紙を挟みすぎてふくらんだ本でいっぱいになる。
そうやって大事な箇所に紙を挟みすぎて倍の厚さになった本の話を後藤明生が書いていて、その頃は研究なんてしてなかったから寝転がってハハハと笑っていたけど、今自分がそうなってるなー。
何だか全部のページに線を引いてるできの悪い受験生みたい。
付箋紙を買っても買ってもなくなる。
小さなプレゼントをもらうなら付箋紙がいい。
前に院生のひとりに見咎められたので「付箋使わないの?」と聞いたら、「だいじな箇所はページ数で覚えてますから」といわれた。あっそう。
どれも同じくマサチューセッツセーラム村の魔女裁判を題材にした作品で「わたしはティチューバ」の他にアーサー・ミラーの戯曲とナサニエルホーソンの小説2篇とアン・ピトリーの小説を、それからチャドウィック・ハンセンの研究書を読んだのに、全部同じ人物と同じ背景が出てくるもんだから、比較どころか頭の中で混じり合ってひとつのお話というか世界になってしまった。
とはいえ、こうして同じテーマのことを少しずつ広げながら次々読むのは楽しくもある。
自分で書くのはいやだがいろいろ勉強したり細かく調べる作業が好きという院生の話を時々聞くけど、少しだけ気持ちがわかるような気もする(でもやっぱりわかんないけど)。

昨日の大学でのマッサージは揉み返しがひどくて逆効果だった。
最初の一回だけ小説好きのとても相性のいい女性で、次からは男性担当になる。
頭蓋骨や首の骨が砕かれそうな怪力。
「痛かったら我慢しないで言って下さいねー」というからいつも「痛い」と言うんだが、「それは凝ってる証拠ですねー」といってそのまま続けるのだ。
担当を変えてほしいと言い出せなくて(そのためにはマッサージ師に直接言わなきゃならないから)いろいろ異なる曜日や時間を指定してみるが、いつ行ってもこの怪力男になる。
もうやめることにする。