作家

有名文学賞を受賞した作家のエッセイを読んで思ったこと。記者会見場で迎えてくれた編集者たちが、作家の母の葬儀にかけつけてくれた顔ぶれと同じであったという話。身内の不幸があったとき、支えてくれた人々への感謝の思いを書いたことには違いない。だが何か変だという印象が強く残る。
自分の親の葬式を、普通仕事相手は何から何まで手伝ってなどくれない。作家というのはそれほどまでに特別なのか。「書く」という重要な仕事さえしていれば、雑用から逃れられるものなのか。多くの場合人間は、大半の時間を生活に関わる雑用や人間関係にまつわる諸事に割き、というか必然的に巻き込まれており、自分にとっての大事な仕事に充てられるのはその残りの時間なものなのではないか。
自分にとっての重要事をいつでも生活の中心に置くことができ、自分がするべき雑用を他人がやってくれるような環境にあるとしたら、それはそのような環境を築き上げた才能か強運ゆえに違いない。まあ周りを見渡せばそういう恵まれた人々もいないではない。ただそういう立場にある人が「小さい小説」を書いたりもっともらしいことを言ったとしても、真剣に受け取る気はしない。