ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ『トランス=アトランティック』国書刊行会、西成彦訳、2004年

街角に立っていると、息子を求める気持ちが無性につのった。小生は父に死なれて長い。母も遠い。子供はいない。しかも知人も肉親もいないとなれば、余所さまの息子に目をつける以外にない。他人の息子であっても、息子は息子。はっきりいってヤケクソからきた欲望だった。しかし、小生は目標への一歩を踏みだした。宛てもなく歩いているつもりが、自然、足が息子の方へと向いてしまう。これはまったく衝動的な思いつきだった。小生は息子をめざす(しかし、次第にゆっくりとした、はにかんだ足取りへと萎縮した)。息子だ、息子。息子をめざせ、息子をめざせ。113−114
痛々しいヤケクソさに共感。十年ぶりぐらいのゴンブローヴィッチを清々しい気持ちで読む。フランス語がまだそんなに読めない頃、邦訳されていなかったこの作品に挑戦しかけたことがあるが、これじゃ読めないはずだ。『フェルディドゥルケ』『コスモス』ほどではないが、荒唐無稽で馬鹿馬鹿しくて面白かった。馬鹿な男の子らしさ満載なのに、なぜか最初に読んだ時から大好きだ。こういう小説が書いてみたい。